「・・・・・・・・・・・・。」 大丈夫ですか、と思わず声をかけそうになった。が、大丈夫ではないのは見ていて痛いほどわかる。 遮光性のカーテンを引いたままベッドに丸くなったは、僕が部屋に入っても顔を上げることはなかった。いや、上げられないのだ。それほどの痛みとはどんなものだろう。男の僕には想像も付かない。そっと薬と水を机に置いて、の乱れた前髪をそっと払ってやる。 「薬飲めますか?」 は真っ青な顔のまま焦点の合わない目で2回瞬いた。 瞬きが1回なら“NO”、2回なら“YES”。この合図を最初教えられた時、絶対使う事はないなと思っていたが、アレの日になると決めていて良かったと改めて思う。そう、の生理痛は言葉も出ないほど酷いようなのだ。 ***** 薬を飲ませ終わるとはゆっくりと目を閉じて、また痛みに耐え始めた。 だいたい30分位すれば効いてくるはずだ。それまでじっと耐えなければいけないが少し可哀相だったが、僕に出来ることなんて薬を持って行く事と気が散らないようにリビングで待機している事くらいだ。カラになった薬とあまり飲まれなかったグラスを持って部屋を出る。 (借りてきた猫のようだ。) 頭に浮かんだその言葉に我ながらため息が出た。 いつもは煩いくらい元気なのに、今はベッドに丸くなってじっとしている。その姿が違和感だらけで、無様で、そして可哀相になるくらい痛々しくて仕方がない。が起きるのはトイレと風呂の時だけだ。食事は喉が通らないらしく、水と薬を飲む為に1口食べる程度。1ヶ月前、体に悪いからと無理に食べさせたら嘔吐した。それからは食べれそうな時に少し食べさせるようにしている。ただ段々と症状は軽くなるらしく4日目には食事が取れるようになるが救いだ。今は2日目で1番症状が酷い時期だから辛いだろう。 薬が効き始めたのかドア越しに規則的な寝息が聞こえてくる。 それにほっとして僕専用になりつつあるソファに寝転がると、白い天井が味気なく視界に広がった。皿も洗ったし、掃除もしたからやる事がない。今の時間なら夕食の用意をしている所だが、はあの通りなのでやる気が起きなかった。普段は聞き流しているけどの「おいしい!おいしい!」という声が案外僕をやる気にさせているのかもしれない。しばらくぼんやりと天井を眺める。 そういえば彼女には父親がいたはずだ。僕は1回も見た事がないが、彼ならこんな時どんな事をしてやるのだろう。想像も付かない。そもそもどんな人なのかすらわからないのだから仕方がないのかもしれないが…。前にの亡くなった母親の写真は沢山あるのに父親の写真が1つもないから疑問に思って聞いた事がある。は「クロロは写真が嫌いなんですよ。よく盗賊が写真に写るわけないだろって憤慨してます」と事も無げに言い、それから「あの人、自分の事盗賊って言うんですよ。1人だから賊じゃないのにね。」とおかしそうに笑っていた。 ***** 気が付いたら眠っていたようだ。 壁に掛けられている時計を見れば2時間が過ぎていた。流石に空腹を感じる。何か作ろうと冷蔵庫を開けたものの、特に食べたいものが見つからず、諦めて閉めた。の部屋をそっと覗く。規則正しい寝息。気配を消して近づいてもは目を覚まさなかった。体を横にして、くの字型に眠る彼女の近くに腰を下ろして前髪をそっと払う。あどけない顔にはさっきまでの苦痛の色はない。薬が効いたようだ。半開きになった唇からすうすうと寝息が聞こえて何だか笑いそうになった。乱れた毛布を掛けなおしてやると丁度顎の下に手が見えた。下になっている右手に重なるように左手が添えられている。その姿は祈っているようにも見えるが、どちらかというと小さな子供の寝方と重なって見えた。があまりにもあどけない顔で寝ているからかもしれない。それかきっと指輪の所為だ。今、は全ての指に指輪を嵌めている。その指輪は決して綺麗でも可愛いものでもなく、アンティークっぽい雰囲気のあるモノばかりだ。なんでもお守り代わりなのだという。 「昔クロロがくれたんですよ。痛くなくなるおまじないって。まぁ、気休めかもしれませんが付けてると落ち着くんです。」 その時のはおどおどとしていてバツの悪い顔だった。 僕が馬鹿にすると思ったのかもしれない。実際僕は馬鹿にしたのだが。ただ気休めだってわかっているのに付けるが可愛く思えたのは事実だ。しばらく頬や頭を撫でているとくすぐったかったのか小さく唸ってもぞもぞと身じろぎをする。起きたわけではないらしい。ほっと息をつく。折角眠ったのに起こすのは可哀相だ。なのについ構いたくなる自分がいる。そんな矛盾した気持ちに苦笑を漏らしながら身じろいだ拍子にずれた毛布を再び掛けなおす。すると毛布の中からころりと箱が転げ落ちた。小さな箱だ。丁度婚約指輪を入れる位の箱。それは僕にとってかなり覚えのあるモノだった。僕が買ったネックレスの入った箱。 「・・・・・・・。」 てっきり机の引き出しの奥に仕舞われているのだと思っていた。 ネックレスを贈った日からは錆びたあのネックレスを付けることはなくなったものの、その代わり僕の贈ったネックレスをつける事もなかった。の首もとはアレ以来何も付けられていない。ただあの安っぽいネックレスはまだ捨ててないようだ。小さな袋に入れられ、のいつも持ち歩くカバンに入っている。(今だっての机のスタンドの所に置かれているのだ。腹立たしい。)まぁなにはともあれ、あの煩わしいネックレスが彼女の首もとを飾らなくなっただけでも良しとしようと思っていた所だった。それなのに何故今、ベッドから出てくるのだ。これじゃまるで、 「(僕が贈ったのが嬉しかったみたいじゃないですか。)」 「あんな高いのちょくちょく身につけられるわけないじゃないですか。盗まれますよ。」とイヤそうな顔していたくせに。おっかなびっくり箱に触れるだけで、取り出したりしなかったくせに。震える手で箱を拾い上げ、枕元に置く。心臓の鼓動がやけに早い。自分の顔が赤くなっているのが嫌でもわかる。こんなのはただの気の迷いだ。少し情に流されただけの、そうバカ犬がやっと飼い主を覚えた時の感動に違いない。は相変わらず眠ったままだ。僕の気持ちも知らずにぐうたら寝ている。軽く頬を抓ると無意識に眉を寄せた。その顔はまるっきり子供。そうだ。僕がこんなガキみたいな一般人に現を抜かすはずがない。今ここで首を絞めれば簡単に殺す事も出来る。それをしないのは、こんなクズを1人殺ったところでメリットがないからだ。必要となればいつでも殺せる。 「・・・勘違いするなよ。僕は、」 カラカラに乾いた喉からは酷い声しかでなかったが、特に気にはならなかった。 は何も言わずに眠っている。こんなに近くにいても起きないのはやはり凡人だからだ。狸寝入りをしている気配もない。(彼女は嘘がつくのが下手だからすぐにわかる)最初からわかっていた。こんな脆い人間が僕に釣り合うはずがない。それなのに、 「僕は・・・・・・」 その後に続く言葉が思いつかなかった。 |
大 人 し い 猫
(君のことなんてなんとも思ってはいませんよ)
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