「はぁー、『グリーンマイル』よかったですねぇ・・・。ジョン・コーフィ役の人すごかったです。」


エンディングが流れて、私はテーブルにあるティッシュを引っつかみながら隣で足を組みながら映画を観ていた骸さんに向き直ると、彼は「まぁまぁですね」と冷静に呟いた。なんだこの差は。腹いせにわざと大きな音を立てて鼻をかんだら「そんなに強くかむと耳危ないですよ」とため息を吐かれる。優しいんだか醒めてるんだか。ただ骸さんの「まぁまぁ」は結構良かったを意味するから今回の映画は彼の御眼鏡にかなったというわけだ。なんとなく誇らしい気分になる。(だって私がレンタルショップで見つけた映画なんだから!)


金曜日の夜に映画を観るのは私の日課である。
いつ始めたかは覚えてないけど、たぶんツタヤの会員カードを作ってからだから中学生くらいからだろうか。食事もお風呂も全て済ませて、後は寝るだけという格好でソファに座り映画を観る。次の日が休みだから思いっきり夜更かししても誰も何も言わない。だからカラスの鳴き声が聞こえる頃に寝ることもよくあった。その生活はイタリアに着てからも変わらない。最初はネットレンタルをしていたのだけれど、散歩の途中でレンタルショップ屋を見つけてからは、安さでそっちを使っている。ここは店の店長が日本贔屓のおかげで日本映画が豊富に揃っているのだ。今日は数年前に話題になったアメリカ映画を借りた。本当はずっと見たかったんだけど、気が乗らなくて中々手を出せなかった。ぐずぐずと鼻を啜って、目元を擦る。時計は午前3時を指していた。骸さんはティッシュの箱を掴んで放さない私をやれやれといった感じに眺め、「相変わらずよく泣きますねぇ」と若干馬鹿にしたように呟いた。


「・・・そんなに泣いてませんよ。」
「『容疑者Xの献身』でも泣いて、『半落ち』でも泣いていましたよ。あぁ、凪と一緒に見ていた『翼のない天使』でも泣いてましたね。」
「あれは!・・・凪だって泣いてたじゃないですか。」


泣き虫みたいな言い方が気に入らない。
熱くなっている目元を指先で揉みながら骸さんを睨みあげる。そんな事したって腫れは引かないんだけど、ついつい目を触れてしまうのは私の悪いクセだ。このクセのせいでものもらいになったのは1度や2度じゃない。


「別にそれが悪いとは言ってませんよ。」
「でもあきらかに馬鹿にしてましたよね。」
「それは認めます。」
「(ハゲろ!!)」


渾身の呪詛も神様には届かなかったようで、骸さんは艶やかな髪を掻き揚げた。
それにしても男なのに私よりも髪が綺麗ってどういう事だ。骸さんがウチの家にパラサイト(寄生)するようになって1ヶ月が過ぎる。1週間のうち4日は凪で、3日は骸さんが姿を現すのにももう慣れた。朝起きて隣に凪から入れ替わった骸さんが寝ているのには未だに慣れないが、これは諦めるしかない。何か変な事されるわけでもないし、変な事しようにも私が相手じゃ立つものも立たないだろう。(品の無い言い方をしてしまった。申し訳ないです)それに彼は朝私を起こすとき、一切の容赦をしない。凪ならあの小さな声で私の名前を懸命に呼んで起こしてくれるのに、骸さんは私をベッドから蹴落とす。(これは比喩ではなく文字通りの意味だ)そして背中を打ってもんどり返る私に対して爽やかな顔で「おはようございます」と笑うのだ。サドである。そんな彼は1ヶ月私の家にいるのだからシャンプーだって私と同じのを使っているはずだ。なのに私はさっぱり彼や凪のようにさらさらの髪にはならないし、つやつやにもならない。


「だいたい作り物に泣いて空しくなりませんか?」


僕には考えられませんよ。
ふぅと人を小ばかにしたようなため息をつく骸さんは、私がもう映画ではなく彼の髪について考察しているのを知らない。もし知っていたら「あんなに泣いたくせに!薄情だ!!」と憤慨しそうだ。彼は冷静なくせに結構どうでもいいところで憤慨する。この間は、私が買ってきたハバネロに憤慨していた。


「作り物だろうが本物だろうが泣けちゃうんだから仕方ないでしょう。それに骸さんの場合本物だって泣かないくせに。」
「当たり前です。こんなくだらない世界で泣ける事なんて1つだってありはしない。」
「まるで今まで泣いた事がないような言い方だ。」
「“まるで”じゃなく、本当に無いですよ。」


冗談かと思った。でも骸さんの顔は冗談を言っている様には見えなかった。
何となく納得してしまう。骸さんはタンスの角に小指をぶつけても泣かなそうだ。リアクションすらしないだろう。きっと生まれてきた時も「はぁ、やっと外に出られましたよ。」と呆れ顔だったに違いない。だったらこの人はどんな時に泣くのだろう。我ながら意地の悪い質問だと思うが聞いてみると彼は、嘲うように私を見下ろし「そんな日は絶対来ない」と断言しやがった。なんということでしょう。


DVDプレーヤーからディスクを取り出してテレビの電源を切る。
その間骸さんはテーブルに置かれたカップを片付け、軽く洗う。空気の入れ替えのために窓を開けると柔らかい風が入り込んできた。冷たい風であるが、冬のそれとは違う。もう春が近づいているのだろう。ふいに夜桜を見に行った事を思い出す。舞い上がる花弁が雪のようで綺麗だった。イタリアに着てからは桜を見ることもなくなったので何となく寂しい。


「どうかしましたか?」
「え、いや。桜が咲く季節になったなぁと思って。骸さんて日本にもいたんですよね?桜見たことあるんですか?」
「ありますよ。あれは綺麗で可愛らしい。好きです。」
「へぇ、骸さんでも桜のよさってわかるんですね。」
「・・・どういう意味です。」


低い声をさらりと無視する。
以前は出来なかったけど1ヶ月一緒だと度胸と言うかこの人に対しての抗体も出来てくるわけで、簡単に流す事も出来るようになってきた。窓の外をぼんやりと覗く。当然外には桜はない。イタリアに来てクロロが1番残念がったのは桜が見れないことだった。あの人は日本人でもないのにいたく桜を気に入り、この季節になると嘆いていた。今もドイツのどこかで嘆いているのだろうか。(クロロは1ヶ月で帰るといっていたのに、今度はドイツに行ったらしい。先週電話があった。呪いのピアスを盗みに行くようだ。どこまでも自由な人である)


「今度見に行きましょうか。」
「は?」


彼が急に言った言葉に頭が付いていかない。
ここはイタリアだ。日本じゃない。イタリアにも桜はあるようだが、日本とは違う。束になって咲くイタリアの桜は日本の桜に見慣れている私やクロロにとってどうしても物足りなく、あの物悲しいような切なくなるような情緒を感じ取ることは出来なかった。口ごもる私を見透かした骸さんは「イタリアでも日本の桜は咲きますよ。実際僕は見たことがある。今度見に行きましょう。」と微笑んだ。その顔がいつまでも引き摺っているあの人と重なってちょっと泣きそうになった。



桜 の 蕾
(あの人は骸さんと同じような事を言って結局連れて行ってはくれなかった)


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