それから10年の月日が流れた。
クロロに頼んで骸さんの記憶を消してもらったと同時にイタリアに飛んだ。もともと浅い付き合いしか出来なかった私は離れたくないと思うほどの友人はいなかったし、一緒にいたいと思う好きな人は私を忘れてしまったから、私が日本に留まる理由は何も無かった。ただもし1つあげるのならば百合子さんの墓参りが難しくなる事だ。毎年その日はクロロと2人で墓参りに日本に帰国するけど、お盆やお彼岸とまではいかない。でも百合子さんなら許してくれるんじゃないだろうか。だって百合子さんは「あんな重くて暗いところなんかに居られるもんですか!私は死んだら天国で遊んで暮らすわ!!」と言っていたから。きっとあのお墓に百合子さんは居ない。


雑誌や写真でしか見たことのないイタリアは、私が思っていたよりずっとのん気な場所だった。
住んでいるこの地域がそうなだけかもしれないが、おしゃれと言うよりも「何やったわけでもないけど知らず知らずのうちにどおしゃれに見えなくも無い状態になっちゃいました!」感がとても漂っている。近代的なビルやお店が立ち並ぶ日本と比べると不便も多い。でも全く違う世界だからこそ新しい1歩を踏み出せたんだと思う。沢山泣いて沢山笑った。人と関わるのは今も怖いけど、私が思っているより人は壊れないと知った。図太くてしたたか、それでいて愛嬌がある。私の力は確かに大きい。でもちゃんと向き合えば、僅かだけど人との程よい接し方が見えた。ジーナもジェシュカもエリッサも大好き。それぞれ言えない秘密は持っていても助け合える。イタリアに来て私の世界は大きく変わった。ぽっかり空いた穴は埋まる事はなかったけれど、それでも日を追う事に私は大人になって、割り切るという言葉を知って、ようやく骸さんの事を割り切れかけたその時、彼は当たり前のように私の前に現れた。



「イタリアなんか2度と行きたくないって言ってたくせにあなたってほんと嫌味な人ですね、骸さん。」


黙り込んだままの彼に冗談交じりに笑えば随分と乾いた笑いになった。
辛そうな顔をしている。あの日の骸さんにそっくりだ。どんなに成長しても私は彼にそんな顔しかさせられないらしい。「、」呼ぶ骸さんの声を遮るように「それにしても骸さんに会った時は本当にびっくりしましたよ!」と1トーン上げた声で笑う。今度は上手く笑えただろう。だけど骸さんの顔は痛そうなままだ。知らないふりをしてべらべら喋る。最初に食べた朝ごはんの話や一緒に見た映画の話。懐かしい話と私の失敗談。ねぇ、笑ってよ。悲しい顔なんかしないで。辛そうな顔なんかやめてよ。骸さんがもう1度私の名を呼ぶ。有無を言わせない声だった。「すみませんでした。」彼は噛み締めるように謝る。こんなに重い“すみません”は今まで聞いた事がない。


「・・・・・・なんで謝るんですか。骸さんは何も悪くないじゃないですか。」


骸さんに辛い顔をさせたのも、骸さんの記憶を消したのも、それをまた穿り返して困らせているのも全部私。
謝らなければいけないのは私の方だ。私は骸さんに会うべきではなかった。あの時本当に通り過ぎるか、もしくは信頼出来る友人に託すべきだった。なのに運命だと思ってしまった。だって当たり前のように現れるから。「こんにちは」なんて他人に挨拶するように喋るから。だからあの日が全てリセットされて、また「初めまして」から始められると思った。私の事を忘れたいと言っていた骸さんはいない。それなら知らないふりをして、あの日の終わりなんてなかった事にして、いつまでも一緒にいたいと思った。多くは望まない。恋人じゃなくていい。ただ散歩したり、時々あの頃のようにくだらない事を一緒に出来れば幸せだった。


胸が苦しい。
じわじわと重いものでも乗せられたみたいに鈍く痛んだ。震える手でポケットからハンカチを取り出し、骸さんに突き出す。困惑顔の彼はしばらく私の顔を見てから黙って受け取った。2つに折り畳んだハンカチを丁寧に開く。隣で息を呑む音が聞こえた。


「これは、」
「お返しします。」


ハンカチに包んだのは、イタリアで貰った1度も使っていないネックレス。キラキラと輝くそれらに目の奥が熱くなる。宝物だった。ソレを見るたびに元気になれた。あの時、彼がどんな気持ちでソレを私に贈ったのか私は知らない。けど、どんな理由であれ、例え気まぐれだったとしても私は嬉しかった。手放すのは辛い。でも傍に置くのはもっと辛い。叶わない夢をいつまでも見るのはとても辛いのだ。


「きっと私よりも似合う人が現れますよ。」
「・・・そんなわけないじゃないですか。」
「現れますって。」
「僕は君以外考えられない。」


告白みたいな事を言う。
思わず笑うと骸さんは私を睨みつけた。その言葉を馬鹿にしてるわけじゃないんですよ。ただ前にもそんな事を思ったなって、懐かしくなったんです。あぁ、泣きたくなる。嬉しくて、悲しくて。でも私は肝心な時に泣けない人間だから、悲しいくらいに目が乾いたままだった。「大丈夫ですよ」微笑むと骸さんは警戒したように眉を寄せた。胸がじくじく痛む。心臓と取り除けばこの痛みはなくなるんだろうか。


「すぐに忘れられますから。」
「・・・・・・・どういう意味ですか。」
「そういう意味です。」


この世に“いつまでも”なんてものはない。
石油は掘ればやがて尽きるし、縁日の夜店で売っている光るブレスレットだって1日経てば蛍光色の液体が入ったただのプラスチックだ。呪いの指輪の効力もいつか尽きる。プラスの力に耐え切れなくなって最後は砂となって消えてしまうのだ。私はこれまでに沢山の指輪を砂に変え、新たな呪いの指輪を手にしてきた。でも呪いの指輪だって限りがある。どんなにクロロがこの世界を股に掛けて指輪を盗んでも、盗り尽くしてしまえばどうしようもない。彼が「これで最後だ」と言った指輪は今私の小指に嵌められ、形を崩し始めていた。当然の結果だ。“いつも以上の負荷”をかければそうなってもおかしくない。体調が悪い時に使う9つの指輪は久しぶりに使った“力”で全部割れた。どうにか指輪の役目を果たしているこの指輪だって後数日持つかどうかだ。私の言った意味を骸さんはすぐに察したようだった。鋭い視線がさりげなく隠していた指輪に飛び、罰の悪い顔をした私へと向けられる。これはもう、笑うしかない。





「私が“いなくなれば”全て巧くいきますよ。」


左手で触ったものを“なかったもの”にする力。存在自体を消す力。だったらその力で“私”を消せばいい。
そうすればこの世界で誰かが知らない間に消える事も無く、平穏な世界がやってくる。骸さんは完全に私を忘れられて、新しい恋人が出来るだろう。私よりも彼を理解できて、支える事ができて幸せに出来る人が現れる。とても悔しいけどソレが1番良いのだ。


「な、にを言ってるんですか。」


震えた声は多分怒っていたんだと思う。
体に渦巻く怒りを必死に押し殺している人の声に似ていたから。「自己犠牲なんてくだらない。」冷静さを無理矢理纏った声で骸さんははっきりそう言った。「自分が死んだら平和になるとか、誰かが幸せになるとか、そんなの都合の良い言い訳だ。いなくなる必要なんて無いのに。・・・あなたはいいんですか?この世界にずっといたいのでしょう?あんなに執着してたのに、それでいいんですか?」あと少し膨らませたら割れてしまうような骸さんの切羽詰った顔。確かに私が“いなくなる”必要なんてのは無い。たとえリングがなくてもクロロがいなかった頃の昔の私に戻るだけだ。生きる事は出来る。・・・でもそれは生きるって言えるの?


「誰にも触れない、誰とも分かり合えない―――それは生きてるって言うんでしょうか。」


クロロに出会う前、私は生きていたけど同時に死んでいた。
あの頃に戻るなんて私には出来ない。人のぬくもりを知ってしまえば、優しさを知ってしまえば。もう忘れる事なんてできないんだ。「・・・それでも僕は生きて欲しい。」


「僕が傍にいるだけじゃ、の寂しさを紛らわせる事すらできないのはわかってます。これは僕の我侭で、あなたを先に突き放した僕が言える義理じゃない。そんなことはわかっているんです。でも僕は生きていて欲しい、出来れば一緒に。、僕だけじゃダメですか?他にも欲しい?それなら僕が幻術でが寂しくないくらい沢山人間を作ります。だから「わかってないなぁ、骸さんは。」・・・?」


わかってないよ。全然わかってない。
1番大切で1番傍にいて欲しい人を、私は“消して”しまうかもしれない。1番わかり合いたい人が1番傍にいるのに触れ合う事すらできない。そんなの耐えられるはず無いじゃないか。今は良い。私への同情で傍に居てくれる。でもこの先は?きっと後悔する日が来る。気持ちがすれ違う日が来る。その時骸さんは苦しむ。私から離れたくなって、でも罪悪感から離れる事ができなくて、そんな骸さんを見るのは嫌だ。今なら綺麗なままの思い出で終われる。その方がずっと良い。


「百合子さんが死んだ日でも、骸さんがいなくなった日でもよかった。いつだってよかったんです。でも“いなくなろう”と思うと頭の中に良い思い出ばかり浮かんで消えなくて、だらだらしてたら良い友達まで出来ちゃって、・・・・いつの間にか24になっていました。此処にいたらいけないってわかってるのに、あと少しあと少しって伸ばしてた。」




「ようやく決心がついたんです。」


だから骸さん、ごめんなさい。
強張った顔で無理矢理笑顔を作る。骸さんは黙ったまま、ただ痛そうな顔でいつまでも私を見ていた。



みっともないくらい好きで、だけど越えられない線がある
(良い思い出ばかりが呼び起こされる、そんな幸せな気持ちのまま消えられるのは幸せな事だよ、きっと)


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