次の日、先輩は私がしてきたネックレスに1度も触れなかった。
シルバーネックレスなんてした事ないし、しかもこの形は一番先輩が知っているだろう物なのに先輩はその日飴玉の話とテトロドトキシンの話と映画『アフタースクール』の伏線は完璧だという話をした。つまりくだらない話だ。私がどんだけの勇気を振り絞ってこのネックレスをして、聞かれた時のいい訳を昨日の夜27個作ったと思っているんだろう。全てが水の泡だ。これはもう裏切りである。立派な裏切り行為だ。


すっかり暗くなってしまった夜道を2人で歩く。
先輩の家がどこにあるのか私は知らないけど、ブッダもびっくりな天上天下唯我独尊男であるこの人が私を家まで送るためにわざわざ遠回りをしているとかは考えられないので、たぶん方向は一緒なんだと思う。図書委員の仕事の所為で、もし今日の天気が良かったら月が見えていただろう時間帯になってしまった。コンビニで買ったスパイシーチキンを頬張りながら(先輩はあんな顔で辛いのが苦手で普通のチキンを頼んでいた)ふと今日の現国の授業を思い出した。「夏目漱石といえばこんな逸話があったわねー」今やっているところが夏目漱石の『坊っちゃん』だったのをきっかけに先生が夏目漱石が訳した“I love you”を教えてくれたのだ。


「先輩。そういえば、昨日金曜ロードショーで『耳をすませば』を観ましたよ。月島雫と天沢聖司の青春ラブストーリー。知ってますか?」
「知りませんよ。僕はそういう青春とラブストーリーが化学反応起こすような映画とか嫌いですから。」
「あぁ、確かに先輩は観そうにありませんよね。わかります。むしろ観てたら引きます。あなたのような性悪が観たら汚れてしまいますよ。」
「僕が?どんだけその映画最悪なんですか。」
「いや映画ですよ、汚れるのは。何言ってんですか。まっくろくろすけ並に黒いくせに。」


眉を寄せて先輩を見上げると彼はしれっとした顔で「というか何ですか『耳をすませば』って。澄ましたところで聞こえるものなんて町の騒音だけですよ。」と言い切った。これはもう、全世界のジブリファンを敵に回したも同然だ。軽く土下座レベルだ。しかし私が言いたいことは本編のラストで天沢聖司が月島雫に「雫、好きだ!」と町に向かって叫ぶ所が恥ずかしすぎるとか、実は『耳をすませば』よりも『魔女の宅急便』の方が好きとかそういうのではない。これは布石だ。誰がなんと言おうとこれは布石である。「まぁ、ナッポーなあなたは置いといて」すかさず「ナッポーを笑うとナッポーで泣きますよ!」と先輩のわけのわからない突込みが入ったが無視だ。今私は先輩に構っている暇はない。一世一代の大事な時なのだ。手に汗が滲む。無意識のうちに唾をごくりと飲み込んでいた。「つまり私が言いたいのは、」



「月が綺麗ですね、・・・・・・・・・・・それだけです。」


ねぇ先輩。昨日9個目の言い訳を考えている時に私の頭は稀に見ぬひらめきを生み出したんですよ。
きっとリアリストな先輩にはとうてい理解できないかもしれませんが、あのひらめきは私の人生で1番のひらめきだったと思います。いえ、そうです絶対。私の頭も捨てたもんじゃないでしょう?先輩、・・・いえ骸さん。もしやあなたが昨日言いかけた“ぷれ”の後ろは、サ行の4番目に濁点をつけたものと、ひらがなの最後の文字と、タ行の5番目を全部カタカナにしたやつじゃぁありませんか?名探偵コナンもビックリな名推理でしょう?内心でそう呟いて隣を歩く先輩を盗み見る。先輩はじっと私を見つめていた。ドキドキと心臓の音がうるさくて今にも口から飛び出してくるんじゃないかと思った。「」先輩がやけに落ち着いた声で呼ぶ。断られるのか、okなのか、はぐらかされるのか、流されるのか。―――ふぅ、と彼は息をつく。






「今日は曇りですよ」
「うん・・・貴方は1度バルスされるといいと思う。」


どういう意味ですか!と怒る先輩を置いて私は歩き出した。
ですよね。所詮この人は、ウォーリーを探すのしか興味が無いんですよ。えーえー、知ってましたよ。ため息をついた私を追いついた先輩は不思議そうに見て、首をかしげていた。まぁ、彼にも推理の神が下りてくるかもしれない。気長に待とう、そう思って「ところで先輩はムスカになるのとモウロ将軍になるのどっちがいいですか?」と話を流すと「ソレ両方死亡フラグですよね!」と突っ込まれた。




*****


てっきり1週間くらいで神は降りてくるかと思ったが、半月経っても先輩には推理の神は下りてこなかった。
しかし私たちの関係は少しずつ変化していき、ソレは多分、イイ方向だったのだと思う。私は先輩の事を“先輩”から“骸さん”と常に呼ぶようになったし、極々たまに手を繋ぐ事もあった。私たちの関係は決して心と心が常に寄り添っているような大人なものでも、体を求め合うような情熱的なものでもなかった。周りから見ればおままごとだったかもしれない。けれど一緒にいると落ち着いた。何かを共有するのが楽しかった。時々心臓がロケットのように口から飛び出しそうな事もあるけど、それすら愛おしかった。


これは私にとって初めての恋だったと今でも思っている。
誰も本当の意味で愛せなかった私が、普通の女の子みたいにはしゃいだり怒ったり、ドキドキしたのはこれが初めてで、これから先はきっとない。あの頃、私は1人の人間だった。殺人鬼じゃなくて普通の女子生徒だった。








だからあの時、彼が「もううんざりなんです」と呟いた時、私は世界の壊れる音を確かに聞いたのだ。


*****


「どういう事ですか」自分でも驚くほど低い声が出た。街灯が1本しかない小さな公園。その街灯のそばで私たちはにらみ合っていた。「そういう事です。」骸さんの声も驚くほど低くて、彼が本気で言っているのが見て取れる。だからこそ私は納得がいかなかった。確かに私は可愛いわけじゃない。斉藤先輩のように出るとこは出て、引っ込む所は引っ込んでる体系ではないし、むしろ胸は小さい。良い所なんて見つけようにもすぐには出てこないような、そんな残念な人間だ。でも骸さんとの波長は良かった方だと思っている。それだけは自信を持って言える。骸さんは食い下がる私を鬱陶しそうに見て、「煩いですね。僕は君のそう言うところが嫌いだった。平和ボケしてて、こっちの事情も知らないで腹が立つ。君みたいな人間は僕には必要ないんです。」と醒めた口調で言い切った。傷つかなかったかといえば嘘になる。私は鋼の心なんて持っていないし、防弾ガラスのハートでもない。繊細なガラス製だ。1つ1つが胸に突き刺さる。


「骸さん、」
「気安く名前を呼ばないで下さい。」
「でも、骸さん。なんで、」














「なんでそんな泣きそうな顔するんですか。」





心臓を殴るようなキツイ言葉を吐くのは骸さんで、棘を含んだような声を出すのも骸さん。
「君みたいな人間は僕には必要ない」みたいな台詞で私の存在を否定して、10000のダメージを与えるのも骸さんなのに、受けた私よりも骸さんの方がずっとずっと痛そうな顔をするから、・・・・だからどっちが酷い事を言っているのかわからなくなるんだ。ぽろりと下瞼に溜まった水が零れる。すーっと彼の頬を滑っていく雫は虫の集まる街灯の灯りで真珠のように真っ白に映り、細い顎を通って暗闇に消えていった。「・・・・嘘ですよ。」全部嘘です。俯いたまま呟いた声は低くて近くにいる私のところすら掠れて聞こえた。


「・・・・・・楽しかったですよ。僕はあまり、楽しいとかそういう事感じないタイプですが、あなたと一緒にいるのは嫌いじゃなかった。この世はくだらない事ばかりだけど、あなたはそうじゃなかった。・・・・多分僕は嬉しかったし、楽しかったんです。が、一緒だから。」



はぁ、と骸さんはため息をついた。


「・・・・あなたといると辛くなる。」


あまりにも楽しいから。
やることが沢山あるのにどうでも良くなってしまう。
左手で覆い隠した彼の顔はわからない。私は何も出来なかった。かける言葉も見つからず、ただ苦しそうな彼をぼんやり見つめている事しかできなかった。そういう時、自分の薄っぺらさを痛感する。欠陥だらけだから。本気で人間と向き合ってきたことがないから、多分私は何も言えないし、何も出来ないのだ。小指の指輪がひどく重い。もし私が“普通の人間”だったら、骸さんに何かしてあげる事があっただろうか。辛い顔をさせないですんだのだろうか。でもどんなに“もしも”の話をしたところで私が私である以上何も変わらない。先輩は苦しいままで、ちっぽけな私は結局彼の為に出来る事はない。だから。だからこそ、




「君を忘れられたらいいのに・・・・」



あなたがそう望むなら、私はどんな事でもしてみせるよ。


(あなたが欲しいのは“私が考えて私が行動した結果”なのだろうけれど、無いネジが多すぎる私にはどうにもこうにも動く事ができないから、だからせめてあなたの望みを叶えるよ)








(・・・・・・・・さよなら、)


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