目が覚めて最初に見たのは真っ白な天井だ。 細かい模様の描かれたその天井は、確か有名なデザイナーの作品だった気がする。天蓋仕立てのベッドの柱の装飾も彼の作品らしい。ベッドと机以外何も置かれないこの部屋を使うことになるとは思わなかった。ボンゴレ邸、霧の守護者の部屋。僕の為に与えられたこの部屋は、使う主がいなくとも手入れが行き届いている。小さく息を吐き出すと横に座って資料を読んでいた男が顔を上げた。黒髪に吊りあがった目―――雲雀。 「やぁ、気が付いた?1週間眠り続けるなら永遠に起きなければ良いのに。」 「・・・どういうことだ。」 「説明する前に一先ずおめでとう。これで君は“自分の体”を使えるようになった。」 クローム髑髏の体ではなく六道骸の体をね。 ガチャリと開いた扉には凪がいた。不安そうな、嬉しそうな顔。彼女の顔を現実で見るのは初めてだ。ゆっくりと瞬きをして名を呼ぶと涙を溢れさせながら駆けてきた。子供のように泣く凪の頭を撫で、雲雀に視線を移すと彼は無関心そうな顔でテーブルに置いてあったコーヒーを飲んでいた。相変わらず嫌味な男である。上半身だけ体を起こす。10年ぶりに使う自分の体は想像していた以上に重く、だるい。空気を吸うのも億劫だ。体を起こすだけでこうなのだから、もとの動きが出来るまで時間がかかるに違いない。そんな僕を彼は一瞥してまたカップに口をつけた。 「雲雀。説明を、」 落ち着いた凪を帰してからそう促すと彼は「簡単な事だよ」と意地の悪い笑みを浮かべた。 「が持ってきたんだ。」 「・・・・・・・・・・・・・何を言っている?」 「君はバカなのかい?言葉の通りだよ。が六道骸をあの牢獄から連れてきた。」 口の端を吊り上げて雲雀が笑う。 あそこはマフィアの幹部だって入れない鉄の監獄だ。復讐者もいる。表世界の人間が入れる所ではないし、そもそもあの場所までたどり着けるはずが無い。どう考えたってありえなかった。嘲るように笑う僕を雲雀は冷静な顔で見ている。普段ならトンファーの一撃くらい飛んでくるはずなのに・・・・気味が悪い。「ねぇ、」熱を持たない声で彼は僕を見た。その顔はもう笑ってはいなかった。持っていた資料を僕の前に放り投げる。資料の右上にはの顔写真が載っていて、あとは細かい情報が10枚に渡って書かれてある。 「これは?」 「の個人情報。気になってね。調べてみたんだ。そしたら面白い事がわかった。」 「面白い事?」 「・・・・・・・・君はさ、どこまで彼女の事を知ってるの?」 どこまで。そんなの聞かれても困る。全ては知らない。でも雲雀よりは知っているはずだ。 はバスで4つ目の大学に通っていて、文学系の勉強をしている。ジーナと言う友人がいて他にも白猫を飼っているエリッサとエシュカがいた。ドトールよりもスタバが好きで、パスタよりも白米派。父親がクロロといい、母親が百合子と言う。嬉しい事があるとスキップして、悲しい事があると僕の傍でイジイジしていた。 「彼女の父親が泥棒をはたらいている事は知っています。」 「うん、そうみたいだね。クロロ・ルシルフル。この間ドイツで起きた盗みも彼のようだし、彼は危険だ。でも僕が聞いているのはそんな事じゃない。」 「・・・・・・・・・。」 「君は疑問に思ったことはない?どうしてはイタリアに住んでいるのか。いつから引っ越したのか。父親は何処の国の人なのか。生まれた場所。彼女の学生時代。―――君は聞いたことがある?」 「・・・ありませんよ。そんなの。」 過去なんて必要ない。 大切なのは今だ。大学生の。僕の知っている、あののほほんとした地味な子。それ以外には興味は無い。僕の知らない時代の彼女なんてどうでもいい。彼女が未だに想い続ける“彼”の事も。腹の中でどす黒い感情が沸き起こって雲雀を睨みつける。彼は特に気にも留めていないようだ。それがまた腹立たしい。 「まぁ、父親の方は判らず仕舞いだったけどね。が4歳の時に現れたくらいで、戸籍もないし何処にいたのかすらわからない。でもは出生から今までデータとして残ってる。証言も取れた。の学生時代の友人たちが話してくれたよ。彼女は今と変わらないみたいだね。のん気で単純。給食にブロッコリーが出ると残していたらしい。」 「それがどうした。」 要領を得ない話に苛立ちが募って思わず殺気が漏れた。 雲雀は動じない。僕に放り投げた資料をぱらりと捲り、足を組みかえる。 「その友人が言っていたんだけど、」 ***** 慣れない足を奮い立たせて何とか歩く。 夜気を含んだ風は冷たく、もうすぐ夏になると言うのに体が冷えた。 空は暗雲としていて月も星も無い。街灯だけが周りを照らしていた。 「あの家を訪ねても無駄だよ。あそこにはもう誰も住んでいない。」 出かけ様雲雀に言われた言葉が頭の中でグルグルと回っている。 が僕を連れて来た次の日、雲雀は部下を遣わせての家を訪ねたらしい。しかし家は空っぽで近所の人も知らないと言う。しかも口をそろえて言うのだ。あそこは元から空き家で“”なんて人間は住んでいなかった、と。 石畳の道路。規則的に並んだ樹木。 その脇のベンチに座っている女性に近づく。いつかの僕がそうしていたように彼女は空を見上げていた。肌寒い風に長い黒い髪が揺れる。 「、」 呼ぶと彼女はゆっくりと僕に視線を移し、「どうも」と笑った。 ***** 「久しぶりですね。」 「そうかもしれません。あぁ、そういえば昨日テレビで“耳をすませば”やってましたよ。見ました?」 「見るわけないでしょう?今起きたんですよ僕は。」 「あれは名作ですよ。ちょっと恥ずかしくてソファで転げまわるけど。まさしく青春ですね。」 「起きていても見ないですよ。そういう話、僕は好きじゃありませんから。一生懸命とか見ててイタイじゃないですか。」 眉を顰めるとは「骸さんらしいですね」と笑った。 普段通りだ。他愛もないことを話し、ろくでもないところで笑う。なのに何故か違和感が拭いきれない。能天気な雰囲気も身振り手振りで話す仕草も僕が見てきたそのものなのに鳥肌が立つ。これは恐怖だ。足元が崩れていく事への恐怖。僕の一言で簡単に全てが壊れてしまう。・・・・それでも僕は知りたかった。 「・・・・、」 強い声で呼ぶ。彼女は空を見上げるばかりだ。 気づいているはずなのに知らないふりをする。「・・・骸さんが何を聞きたいかは知ってる。」しばらくしてがポツリと呟いた。 「でも知らなくても良い事なんて世の中には沢山あるんですよ。パンドラだって開けなければ不幸になることは無かった。私は開けなくてもいい箱を無理に開ける必要はないと思います。」 「開けるなと言われれば言われるほど開けたくなるのが人間の性ですよ。そして僕は知る必要がある。雲雀から聞きました。あなたが、」 そこまで言ってから何と言っていいかわからなくなった。 僕はまだ信じられないのだ。あの時言った雲雀の言葉も、彼女が僕を連れてきた事実も。 取り繕うように横髪を耳にかけると隣でふっ、とが笑った。黒い双眸が僕を捕らえ、アーモンド形に細まる。「変わりませんね、気まずくなると髪を耳にかける癖もその正論も。あなたはいつもそうだった。」そして懐かしむように言うのだ。 「10年前から少しも変わらないね、――――――――六道先輩。」 『黒曜中学校2年1組は、1つ年上の六道骸と仲が良かったんだって。城島犬、柿本千種にも確認を取ったよ。君はその頃1つ年下の図書委員の女子生徒とよくつるんでいたようだね。その子の名前は。 ・・・・・ねぇ、君は何でを覚えていないの?』 |
佳 境 の ソ ナ タ
(本当は最初から知っていたんです。あなたの事も、あなたの過去も。)
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