「やぁ、久しぶりだね。」 そう言って笑った人は、私がここに尋ねに来ると予想していたかのように別段驚くわけでもなく私を向かい入れた。豪華な玄関に気後れするが、この2日間心の整理やら葛藤やら決意やらしてきたのだ。後には引けない。思い切って第1歩を踏み出すと少し余裕が出来て、このイタリアンマフィアの頂点に立つボンゴレファミリーの屋敷に足を踏み入れた一般人は私が初めてなんじゃないだろうか、とどうでもいい事を考える。そう思うと何だか笑いがこみ上げてきて、私は唇を噛み締めた。雲雀さんはそんな私をちらりと見たけど何も言わなかった。 「君がここに来た・・・と言う事は六道が全て話したってことだね。」 客間に通され、座ったと同時に雲雀さんが通常通りの澄んだ声で言った言葉に体がびくりと震える。 まだ心の準備が出来てなかったのに行き成り聞かれるとは。内心で悪態を吐きながらも心のどこかでは“雲雀さんらしいな”と納得する部分がある。短い付き合いであるが、彼は人が出来るだけ遠回しにしたい問題をすぐに切り出す性格である事はわかっていた。わかっていたが、一般人な私が彼の鋭い質問にたじろいでしまうのは仕方がないことだろう。 「はい。その、マフィアの事もボンゴレの事も聞きました。」 「それで、君はどう思った?僕達が怖い?」 「いいえ、そりゃ人が死ぬのは怖いですし、殺気も怖いです。でも普通の雲雀さんも骸さんも怖くはありません。」 「正直者は好きだよ。」 雲雀さんは薄っすら笑って「ただ、僕達は“普通”であることが稀な仕事をしている。が怖いと思うことを平気でやる。なら、僕達が君にとって恐ろしい存在であるのに変わりはないんじゃないかな。」と続けるものだから私は何も言えなくなってしまった。雲雀さんの言っているのは正論だ。人が死ぬ世界に恐怖を持っている私が彼らを恐れないと言うのは矛盾した話だと思う。でもその矛盾した気持ちが私の心なのだ。自分勝手な話だけどそれだけは変わらない。そして浅ましい事に、私は結局の所どんな事があっても彼らと繋がっていたかった。たとえどんな事があろうと。宇宙人が侵略してこようが、地球汚染で大津波が来ようが、彼らが闇世界で生きる人だとしも、 「・・・それでも私は一緒に居たかったんです。」 気弱な声はこの広い部屋の中に響かずに消えていった。 雲雀さんの視線が痛いほど伝わってくる。見つめ返す事はとてもじゃないけど出来なかった。指輪を嵌めた小指ごと握り締め、唇を噛む。骸さんと過ごしたこの2ヶ月半という短い時間は、私にとって掛け替えのない時間で、たぶんこの先の一生を賭けたって到底釣り合わない。 「はっきり言って僕達と君では住む世界が違う。僕達は“選ばれた者”として凡人社会の法を無視する人間だ。一般人の君のような人が生きていける所じゃない。それはわかるね?」 畳み掛けるように語られた言葉に頷くと雲雀さんは深いため息を漏らした。 呆れのため息なのか、安堵のため息なのか。それとも一仕事終わった区切りのため息だったのかもしれない。コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。客間に案内されてすぐ、雲雀さんの部下であるという男性にコーヒーを振舞われた。強面の顔を僅かに緩め、気遣わしげに私の前にカップを置くその人はそんなに悪い人には見えなかった。 「この先六道と関わっても良い事なんて1つもないよ。あの男の事は忘れるんだね。そして僕たちの事も。」 (僕の事は忘れて下さい。全てなかった事に、)抑揚のない冷たい声でそういった骸さんが頭を過ぎる。 ねぇ骸さん、あなたにとって私と暮らした時間は無駄な時間だったの?一緒に観た映画とかブロッコリーの入ったシチューとか桜を見に行く約束とか小指の爪に塗られたローズピンクのマニキュアとか、あの桁が違う高いネックレスとか。全部忘れたいの?なかった事にしたいの?だったら初めからあんな所に倒れてなければよかったじゃないか。あの雨の夜に路地裏でダンボールに身を預けてなければよかったんだ。「助けてください」なんて。全てなかった事にするなら初めから何も起こすな。 「雲雀さん、」 「何?」 「本当の骸さんの体は何処にあるんですか?」 「・・・聞いてどうするの?」 そんなの決まってる。 「嫌がらせしてやるんですよ。」 生きていく世界が違うので僕の事は忘れてください。ついでに全部なかった事にしてください、と言われて はいそうですか、と納得できるほど私は出来た人間でも純粋な人間でもない。そんな純粋な私は中学生で卒業したのだ。雲雀さんの目が獰猛な肉食獣のように鋭くなり、私を睨みつける。 「意地でどうにかなるような問題じゃない。」 「わかってます。」 「わかってないよ。ボンゴレの力を以ってしてもどうにもならなかった事を君が出来るわけがない。運でどうにかなると思うな。世間を甘く見るのも大概にしなよ。」 「世間を甘く見たことなんてないですよ。ただ私は・・・・後悔したくないんです。」 「だから教えてください」と雲雀さんが口を開く前に頭を下げた。 土下座に近かったんじゃないかと思う。テーブルすれすれまで頭を下げたのは初めてだ。雲雀さんは何も言わなかった。どんな顔をしていたのかはわからなかったけど、彼が私を見ていたことは刺さる視線でわかる。しばらく沈黙が続いた。「・・・わかった。」ふー、と息を吐いて雲雀さんがそう言ったのはそれからさらに数十秒経ってからだった。 ***** 小銭を入れて番号の振られたボタンを押す。 調子外れの音がボタンを押すたびに出て、それからトゥルルルと通信に切り替わった。公衆電話なんて久しぶりに使う。小さい頃は数多くあったのに今は見つけるほうが大変だ。テレフォンカードももうすぐなくなるのだろうか。受話器を耳に当てながら行きかう人をなんと無しに眺める。ボンゴレ邸のあるこの街は私が住んでいるところよりも人が多く、忙しそうだ。誰も私を見ない。せかせかと足を動かし通り過ぎていく。まるでガラス張りのこの狭い個室が世界から切り離されたようだ。プツと電話音が途切れて『・・・誰だ』と懐かしい声が聞こえた。 「私です。」 『世の中“私”で通じると思っているのか。俺に詐欺を働こうとはいい度胸だな。俺と話したければ名を名乗れ。ところで何の用だ、。』 「(切り替え早っ!)クロロは相変わらずだね。」 『お前も変わりないな。そう言えば知っているか。今は公衆電話など使わなくとも携帯電話と言う文明の利器がお手ごろ価格で売られているんだ。』 「知ってるよ。つーか、持ってるよ。同じ機種じゃん。」 『なら何故公衆電話からかけてくる。』 理由は特になかった。しいて言えば興味本位だ。 ボンゴレ邸を出て街をぶらぶらしていたら偶々公衆電話ボックスを見つけた。そしたら急に懐かしくなって使いたくなったのだ。ただリアリストなクロロに言ったら「くだらない」と一蹴されるので、くるくると受話器のコートを手で弄びながら尤もそうな理由を考える。しかし彼を納得させられるような理由は思いつかなかった。 「ねぇ、テレフォンカードってもう死語だと思う?」 『流行語でないのは確かだな。そんな事言う為に電話してきたのか。』 「そこまで暇じゃないよ。―――――クロロ、」 「もう終わりにしよう。」 電話口でクロロが沈黙した。その沈黙がやけに耳に響く。 音はないはずなのに周りの騒音すら打ち消してしまう程、大きく聞こえた。 「もう終わり。サーカスは幕を下ろして次の町に行くんです。」 『・・・・・・・お前はそれでいいのか。』 否定ではなく、確認するみたいにクロロはゆっくりとそう口にした。 目を閉じてみる。狭い個室が真っ暗になり、狭さを感じなくなった。ただ音だけが聞こえてくる。通り過ぎる人の足音。ざわめき。音の世界。息をつく。ゆっくりと目を開け、ボックスの薄汚れたガラスから空を見上げると眠らない街のネオンが輝きく中、そのさらに上で月がひっそりと輝いていた。 ***** 「月が綺麗ですね。」 「は?」 「夏目漱石は“I love you”を“月が綺麗ですね”と訳したそうですよ。」 ソファに寝転びながら本を読んでいた骸さんが行き成り電波を受信したので、彼の傍でDSをしていた私は対応できずに骸さんを凝視した。何故そこで漱石なんだ。私が夏目繋がりの『夏目友人帳』を読んでいたのなら話は別だが、生憎私はDSで『レイトン教授と悪魔の箱』をやっていたので関連がないし、外は雨だ。月も見えない。骸さんが今読んでいる本だって月とも漱石ともましてや恋愛なんてものとも全く関係がなかった。怪訝そうな顔をする私に気づいたのか骸さんは本から顔を上げ、私を見ると「今日の昼に漱石の特集がやっていたんですよ。」とやや早口で教えてくれた。 「夏目漱石が学校で教員をしていた頃、“I love you”を生徒が“我君ヲ愛ス”と訳したのを聞いてそう言ったようですよ。その頃の日本では“愛する”という直接的な言葉は一般的ではなかったからでしょうね。」 「へぇ、随分と遠回しな言い方ですねぇ。今の日本じゃ何を言ってるかわからないですよ、きっと。」 実を言うと漱石の逸話は以前から知っていた。 学校の授業で先生が教えてくれたのだ。彼女は「漱石と言う人はロマンチストだったのね。でも私たちには通用しなさそうね」と苦笑していた。確かに「月が綺麗ですね」なんて言われたら「は?」とか思っちゃうだろう。でも素敵な言葉だと思う。どうして?と言われれば答えられないけれど、なんかお洒落だ。だからその日の夜、骸さんと買い物をした帰り道で「月が綺麗ですね、」と言ってみた。そしたら彼は怪訝そうに空を見上げ、「今日は曇りですよ」と言ってきたので、やっぱり今の人には通用しないのだなぁと改めて思ったのだ。そんな事があったのを骸さんは知らない。というか覚えていないのだろう。「はロマンがないですねぇ」とため息混じりに言われた。いや、私の精一杯のロマンチックな告白に「今日は曇りですよ」と答えたのはあなただからね。1番ロマンとか言っちゃいけない人だからね。 「骸さんなら何て訳すんですか?」 内心腹立たしく思いながらも聞いてみると骸さんは目を半眼にして「“I love you”は“I love you”でしょう。それ以上でも以下でもない。」と鼻で笑い、それから「そんな事聞くなんてらしいですね」と心底バカにした顔で言うので、私は立ち上がってデコピンを食らわせてやった。 ***** 月が照らす道をゆっくりと歩く。 街の賑やかさが嘘のようにここは静まり返っていた。それが街と町の違いなのだろう。私の住むこの町は長閑で夜に出歩く人はあまりいなかった。そりゃ、飲み会帰りのサラリーマンや学生とすれ違う程度にはいるけど、片手で数えられるくらいだ。あの眠らない街の様に活気があるわけではない。 『お前はそれでいいのか。』その言葉にすぐには答えられなかった。 良いか悪いかで聞いたら間違いなく悪いに決まっている。でもそれ以外の方法を私は知らない。 月が私を見ている。責めるでも褒めるでもない無表情な輝きが今の私にはやさしく見えた。 |
罪 と 罰
(結果が罪であろうと罰であろうとその方法しか知らない)
n e x t