予感はあった。
見ない振りをしていたのは私だ。




久しぶりに目覚まし無しで起きた。
眠い目を擦りながらカーテンを捲ると外はまだ薄暗い。夜明け前か、ギリギリ夜が明けたくらいだろうか。机に置いていた携帯で時間を確かめるとなんと5時だった。こんなに早く起きたのは珍しく大雪の降った朝、クロロに叩き起こされた時以来だ。(普段猫のようにダラダラと過ごす彼は、その日初めてこんなに沢山の雪を見たらしく「これはただ事じゃない!だるまを作るぞ!!」と少年のようなテンションで私にブルドッギング・ヘッドロックを仕掛けてきたのだ。今もその夢を見てうなされる事がある)


伸びをして部屋着のパーカーを着る。
隣で寝ていたはずの凪はいなかった。トイレに行っている可能性もあるだろうけど、そうじゃないのは気配でわかる。空気がおかしいのだ。しんとした部屋は朝方だから静かなのは頷けるし、リビングを覗いてもいつもとかわらない。普段どおりの家だ。なのに、違和感がある。まるで“最初”から私しか、いなかったみたいだ。胸騒ぎがする。リビングをしばらくうろうろして、ふとくたびれたソファを見たとき、いつもは鈍いはずの私の頭が光ネットのように高速な反応を示し、気が付いたときには私は外へ飛び出していた。



*****


露店が並ぶ昼間の活気が嘘のように広場には彼以外誰もいなかった。
肩で息をしながらベンチに座る彼に近づく。骸さんは初めて一緒に外に出た日と同じベンチに座っていた。(思えば彼と私が知る共通の場所はここだけだ)私の気配にはとっくに気付いているはずだ。なのに彼は空を見上げたままだった。薄暗い空に何があるわけでもないだろうに。それとも私には見えない何かでもいるのだろうか。私は未だに“六道輪廻”とか言う彼の事を内心でコリン星の使者と呼んだりする。


「・・・・コリン星でもありましたか?」
「そんなのあるはずないでしょう?これだからは・・・。まぁナメック星ならありましたけど。」
「そっちの方がねーよ!」


そんなのあったら今頃ピッコロさんが地球のどっかの地域を爆裂魔光砲で粉々にしている。(爆裂魔光砲ってのは、ピッコロ大魔王がピッコロ記念日に世界の地区を1つずつ消し去るときに使うつもりだった技らしい。ピッコロさんついて以前ウィキった時に出てた。それからしばらくジーナと私の間で「あの教授に爆裂魔光砲ぶちかましたい」という使い方が流行った)骸さんは特に気にした様子もなく「曇りなき眼で見つめれば見えますよ」ともののけ姫のあのフレーズを真顔で口にした。そんな彼の隣に腰を下ろす。ちらりと盗み見すると骸さんが私と出会った時の格好をしているのに気が付いた。いつもはクロロの服を着ていたからこんなに重装備なのは久しぶりに見る。しばらく骸さんはぼんやりと空を見つめる事以外は何もしなかった。だから私も広場に広がる石畳の石を意味もなく数えた。丁度37個目を数えようとした時、今まで喋らなかった骸さんがぼそりと呟いた。



「・・・料理をする場合は中火ってゆーのがあるんですよ。」


突然のお料理ポイントに私は沈黙した。
空気を読んだ鳥がどこかで鳴く。三点リーダが4回つく頃、どうにか持ち直した私は「3分クッキングのテーマソングでも歌えば良いですか」と聞いてみたがシカトされた。・・・この野郎。


「それをあなたはいつも強火でやってるでしょう。だから焦げるんです。しかも中身は生だし。」
「・・・はぁ、」
「あとブロッコリーの1つや2つ簡単に食べれるようにならないとこの先大変ですよ。」
「私の人生にブロッコリーはいりません。というか、この先そんなにブロッコリーの壁があるはずないです。どんだけブロッコリーお料理界で幅利かせてるんですか。」
「それからチョコレート溶かすのに使うのは湯煎です。直接鍋に入れないで下さい。焦げたからって水入れるなんて論外です。」
「・・・・・・・・余計なお世話ですよ。」


言葉に詰まって悪態をつく。2ヶ月前のチョコレート事件を持ち出されるとは思わなかった。
正直あのときの事は早く頭から消去したい。というのもバレンタインの前日、友達に渡すチョコを作った私は適当にやれば出来るものだと思っていて、その結果摩訶不思議なチョコレートを作り、骸さんに「だからちゃんと見てやりなさいって言ったんですよ!!」と怒鳴られたのだ。彼はチョコレートの事になるといつもの倍、職人の顔付きになる。結局チョコは骸さん作のものになって友達にめちゃくちゃ評価が高かった。その所為で私は今も友人達の間で「はチョコ菓子だけはプロ級だ」と思われている。


空が薄い水色になってきた。
薄暗かった広場も夜明け独特の青味がかった色合いになり、空気も夜気から水分を孕んだものに変わってきている。今日の骸さんは黙ってばかりだ。それでいて変な事を話す。わけがわからない。もう1度盗み見しようとした時、彼は息を吐き出すように口にした。




「そうも言っていられないでしょう。・・・僕はもうあの家にはいないのだし、これからはがやらないと。」


冷たい風が吹きぬける。広場に植えられている木が葉を揺らす。
それを眺めながら胸のうちで今の台詞をリピートする。一瞬何を言われたのかわからなかった。台詞を辿っていってやっと意味を理解する。


「・・・・・・居ればいいじゃないですか。」


何で、とは言えなかった。
それをいえば全てが壊れると思ったから。だから回りくどい言い方をして、気づかない振りをして、少しでも壊れる時間を延ばしたかった。予感はしていたのだ。いつかこういう日が来る事を私は知っていた。永遠と言うのがどれほど儚いか、それこそ朝顔の咲く時間のように短いものだと私はずっと前から痛いほど知っていたのに。それなのに私は気づかない振りをした。


「私は骸さんと過ごして楽しかったですよ。時々腹は立ったけど。」
「僕も楽しかった。の料理は地獄でしたが。」
「だったらもっと私の料理の地獄巡りでもしてくださいよ。六道輪廻ならぬ六道料理ですよ。」
「全力で遠慮します・・・・、」
「・・・はい。」
「さよならなんですよ、もう。潮時です。」
「なんで、」


あぁ、結局私はあの時のように口にしてしまうのだ。
そして骸さんは“あの人”のように辛い顔をした。私はバカだ。そんな顔をさせたいわけじゃない。辛い思いをさせたいわけじゃない。でも私はそれ以外の言葉は何1つ持っていなくて、結局あの日のように相手を傷つけている。まるで成長していない。骸さんはしばらく口を開いたり閉じたりを繰り返し、意を決したように初めて私の方に顔を向け、泣きそうな笑いを浮かべ、



「僕がマフィアで人殺しだからです。」


とはっきりと言ったのだった。


*****


私の気も知らないで太陽がのんきに顔を出し始めた頃、広場には露店の準備をする人がちらほら出てきた。彼らはベンチに座る私など気にも留めない。私の隣の席が空いているのにも、さっきまで座っていた人の事も、誰も何も言わないし、誰も何も気づかない。骸さんが居たのを知るのは私だけ。




人殺しだと言った骸さんに私は「関係ない」といった。
その場限りの慰めでも社交辞令でもない。本心からの言葉だった。骸さんはマフィアの恐ろしさや、イタリアンマフィアの頂点に立つボンゴレファミリー(雲雀さんもマフィアらしい。道理で鋭い目つきをしていたわけだ)に所属していて敵が多い事、それから命令があれば私の事だって簡単に殺すという事を淡々と話したけど私の考えは変わらなかった。骸さんが人殺しだろうがマフィアだろうがどうでもいいし、特に何か思うわけでもない。私にとって骸さんは元怪我人で、料理上手で、ナルシストで、それから意外と小さい事に拘るみみっちぃ同居人なのだ。勿論知らない部分は沢山ある。マフィアというのだから人を殺したり貶めたりするのかもしれない。きっと骸さんは強いから私は簡単に殺されるだろう。
もし骸さんとのファーストコンタクトが暗殺者とそのターゲットだったら私は怖くて逃げると思う。でも私は、映画を観みながら色々突っ込みを入れる“マフィアっぽくない骸さん”を知っている。嫌味のようにブロッコリーを皿に入れる骸さんを知っている。例え、六道骸と言う人物の99%がマフィアで出来ていたとしても、1%のあの人間臭い骸さんがいれば私は何だっていいんだ。何だって受け入れられる。




そう力説した私に骸さんは一言、「むごい」と言った。




*****


次第に人が増え、広場が騒がしくなる。
太陽はもう当たり前のように空の上で輝いていた。私は未だにベンチの座っている。隣は相変わらず空いていて、木漏れ日を浴びて斑に染まっていた。きゃはは、と笑う声が聞こえ、声の主を視線で追うと行き交う人たちの中で親子を見つけた。お父さんとお母さんに手を引かれ。笑う女の子。手には私が欲しかった赤い風船が握られていた。穏やかな風が吹く。風船はふわふわと浮いて時々女の子を煩わせている。―――憧れなかったと言えば嘘になる。私も風船が欲しかった。百合子さんとクロロと手を繋いで、あの赤い風船をふわふわと浮かばせてみたかった。でも2人が私の【家族ごっこ】に付き合ってくれているのがわかっていたから何も言えなかった。






沈黙が流れる。骸さんは話さない。
じっと地面を見つめていた。そしてようやく口を開いた時、彼は「あなたは何も知らない」と呟いた。世界の不条理さも、いらない子がいる事も、大切に守られて平和に暮らしているには何もわからない、と。吐き捨てるようにそう言って立ち上がる。私は彼を見ていられなくてさっき骸さんがしていたようにじっと地面を見ていた。


「もううんざりなんですよ。あなたといるとイライラする。平和そうな顔をして、何でも信用して、そうやって生きていても支障がないのでしょう?・・・僕とは世界が違うんです。生きていく世界が。もう僕の事は忘れてください。あなただって体のない男なんて内心気味悪いんじゃないですか?全部なかった事にして、あなたはあなたの世界に戻ればいい。」





「もう会うこともないでしょう、―――さようなら。」





*****


風にぼさぼさの髪が揺れ、そういえば顔も洗わずに出てきたことを思い出した。
あの親子はもう居ない。きっとアイスクリームを食べに行ったのだろう。今日は暑さに近い暖かさだ。7分丈のシャツを着ている人もいる。もうすぐ春も終わる。夜の肌寒さは消え、日中の暑さに辟易する夏が来るのだ。見上げた空の青は濃く、視線を下げると規則的に並んだ木が青々とした葉を精力的に伸ばしていた。ぐっと足に力を入れて立ち上がる。近くにいたおじさんが私を一瞥して通り過ぎていった。右足を前に出して、左足のつま先に力を入れて地面を軽く蹴る。その動作を延々と繰り返し、私は広場を出て、露店の並ぶ通りを過ぎ、遠回りしながら家までの道を辿る。途中でイタリア系の桜の木を見つけた。花はとっくに散り、青々とした葉を生やしている。地面に乾燥して茶色くなった花弁が3、4枚塵のように落ちていた。


『今度見に行きましょうか。』
『イタリアでも日本の桜は咲きますよ。実際僕は見たことがある。今度見に行きましょう。』


低い声が蘇る。


ねぇ骸さん、桜はもう散ってしまったよ。
結局あなたは連れて行ってはくれなかったね。




い い 加 減 気 づ い て や れ よ
(終わりがあるのに気づいてた。でも気づかない振りをした。気づきたくなかった。)


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