ふかふかのベッドの上に仰向けになり天井に向けて伸ばした手を1、2、3、4、と指折り数えてみる。 4日だ。もう4日間骸さんと口を利いていない。というか、アレから姿を見ていない。アレと言うのは4日前の喧嘩の事で、今思えば随分と大人気ない事をしたものだと思う。でもこっちから謝るのはお門違いだと心が拒絶するので中々骸さんとの深海張りに開いた溝は埋められずにいる。 「・・・・・はぁ、」 小さく付いたため息が外の風の音にかき消される。 今夜は珍しく風が強い。テレビの天気予報で暴風警報が出されていた。びゅぅびゅぅと力強い風が木を揺らし、窓を叩く。その音がひどくてまるで責められているようだ。決まり悪い状況に毛布を頭まで被ってごろんと寝返りを打つ。暗い部屋がさらに暗い闇になる。昔そうやって毛布を被るのが好きだった。まだ自分の部屋がなかったときだ。小さなアパートで母と暮らしていた時、よく毛布を被って中で懐中電灯を点けだ。すると小さな部屋が出来たみたいで楽しかった。こんな事をしてる場合ではないはずなのに、ついつい童心に返った遊びをしてしまう事がある。そのためエリッサには「は時々子供みたいね」とよく笑われた。 「、」 遠慮がちに部屋をノックされる。 凪だ。4日間、骸さんはうちから出る事はなかったけど、その代わり“表”に現れることもなかった。次の日起きるとリビングには凪がいて、とても気まずそうに「おはよう」と挨拶したのを覚えている。申し訳なく思った。凪は何も悪くない。これは骸さんと私の問題で、凪は遠慮とかそんなの一切しなくていいはずなのに、骸さんに時々体を貸している所為で巻き込まれてしまったのだ。凪にしてみればいい迷惑だろう。 「ん?」 「・・・一緒に寝てもいい?」 「いいよ。」 凪のときはいつも一緒に寝ている。 女の子をソファで寝せるわけにもいかないし、だからと言って床に布団を敷いて寝せるのも気が引ける。クロロの部屋を使ってもいいんだけど、彼の部屋は変なもの(盗んできたものとか。それらの大半は呪いとかいわく付きとかだ)が多いので着替え云々で一時的に使うならまだしもベッドで寝せることは出来ない。そもそもクロロはあの呪いの部屋でいつも寝たりしているけど大丈夫なのだろうか。ベッドの壁にグロテスクな絵画を飾るあの人の美的感覚がわからない。昔、それを訊ねたら「俺の仲間に拷問好きがいるが、そいつの部屋はこんなもんじゃないぞ」と鼻を鳴らし、何故か「俺のほうがマシだろ」と胸を張られた。いや、意味がわからないし、拷問好きのアブノーマルな人と比べないでもっとノーマルの人と比べて欲しい。そして私はその拷問好きのお仲間さんとは一生分かり合えないだろうなと、その時強く思った。 凪が音をたてないように注意してドアを開ける。 眼帯をしていない方の目が私をおずおずと見て、伏せた。彼女と一緒に寝るのはこれが初めてでもないのに凪はいつも「一緒に寝てもいい?」と訊く。遠慮なんてしないでいいのにと思わなくもない。これでも2ヶ月以上一緒にいるのだ。勝手に使ってくれても構わないし、その旨を伝えている。ただ凪にとって“好き勝手に振舞う”のは難しいらしい。右側に体を寄せて凪の分のスペース空ける。春と言っても夜は寒い。ひんやりする空気を感じたが、凪が滑り込むように納まった事で布団の中はさっきよりも暖かくなった。 「風、強いね。」 「暴風警報出てるみたい。明日庭掃除しないとね。」 「うん。」と凪が笑う。優しい笑顔だ。なのにどこか凪らしくない。上から下まで凪なのに、遠慮がちな口調や落ち着いた紫の瞳も凪で合っているのに、何処がとは言えないけれど何となく違う気がした。でも一瞬でもとの凪の表情に変わったから見間違いかもれない。 「あ、そうだ。明日は晴れるみたいだよ。掃除終わったら散歩しよう。あの露店通り。赤い風船配ってたの。」 「は風船が好きなの?」 「好き。でもこの年で“ください”っていうのは恥ずかしいかも・・・いやでも風船・・・」 「じゃぁ私が言う。」 だから赤い風船もらいに行こう。 そう言って凪は私の髪を細い指で梳いた。凪らしくない仕草に内心「あれ?」と思ったけど、気持ち良かったから何も言わなかった。目を閉じる。優しく撫でる凪の手が記憶の片隅に埋もれていた思い出と重なって、目頭が熱くなる。誤魔化すように笑うと凪が「どうしたの?」と不思議そうに声をかけてきた。 「なんか百合子さんみたい。」 「・・・百合子さん?」 「私のお母さん。百合が好きだから百合子さん。」 昔彼女がそう言っていた。本当の名前は知らない。私が生まれる前か後に改名したらしい。だから私が物心ついた時には百合子さんは働いているお店でも私生活の中でも百合子と名乗っていて、彼女の本当の名前を知る人は彼女自身以外誰もいなかった。何でそんな事をしたのだろう。その疑問は聞けないまま百合子さんは亡くなり、私はとうとう彼女の本名を知る事なく3年前、百合子さんが私を生んだ年齢を越えた。 「お酒が好きで、男の人はもっと好きだったけど、こんな風の強い日は必ず一緒に寝てくれたんだよねぇ。」 私が覚えている中で百合子さんが母親らしい事をしたのはそれくらいだったと思う。 いつも綺麗な服を着て、綺麗に着飾ってお店に行く彼女が私とご飯を食べるのは少なかったし、玄関先で知らない男の人とキスしているのを見かけたのは1度や2度じゃない。男の人にもらった諭吉を扇にして高笑いする百合子さんを見て、女とは恐ろしい生き物だと知ったのは僅か4歳の時だった。私が未だ処女のままなのもきっと百合子さんの所為である。(そんな事言えば「あら、がモテないのはママのせいじゃないわ。色気が足りないのよ。まず下着から変えなくちゃね!」とうきうきしながら百合子さんが出てきそうだ)百合子さんは着飾るのは得意だったけど家事全般はまるでダメな人で勿論料理も出来なかった。私が料理を覚えるまでいつもレトルトかコンビニの弁当で、良くここまで成長したものだと思う。胸は悲しいかな成長しなかったが。風がびゅうびゅうと唸る。窓を叩く音が煩い。「酷い人。」ぽつりと凪が呟いた。 「調子がいいときだけ子供を構うなんて、母親になる資格なしですよ。」 「ですよ?」 「・・・・って骸様なら言うわ。きっと。」 「あー、言いそう。ついでに父親は何してるんですかって言うかもね。」 『女なんてそんなモンだ』クロロは一言そう言っただけだ。 今よりも新しかったリビングのあのソファに腰を掛け、本を片手にクロロは事も無げにそう言い切った。淡々とした声に一切の感情はない。それが自然の摂理であると信じて疑わない顔だったと思う。およそ15歳の若造が言う台詞じゃない。けれどクロロなら納得できる。彼は出会ったときからクールだった。自分の身に起きている状況を冷静に判断し、百合子さんが「落ち着くまでうちにいなさいよ」といった言葉の裏の意味も理解していた。女の抱き方も15歳のくせに知っていた。きっと彼のそれまでの人生は碌なモンじゃなかったのだろう。凪の顔が嫌悪に歪む。 「そんな無責任な両親捨ててしまえばいいのに。」 「今日の凪は辛辣だね。」 「・・・だってが可哀相なんだもの。」 アメジストの隻眼が私を射る。 その深い色と直接的な言葉に思わず息を呑んだ。凪じゃないみたいだ。 「・・・忘れたいと思わない?無関心な父親も自分勝手な母親も。出来ますよ?僕が叶えてあげます。」 急に眩暈がした。凪の目を見ているとぐらぐらと頭が揺れて、思考が拡散する。 彼女が誰で、自分がなんなのかわからない。頭が痛い。永遠に終わらないジェットコースターに乗っているような気分だ。何かに縋りつきたくなる。 「――――だから僕のものになってください。」 声が揺れる。心細くて仕方がない。 怖い。寂しい。言いようのない不安に襲われる。思わずうんと頷きかけた。 『大好きよ、ママの宝物ちゃん。』 百合子さんの顔がフラッシュバックする。 狭いアパート。強い風。甘い香水の匂い。茶色に染めた長い髪が頬を擽る。赤い唇が愛しそうに私を呼んだ。そうだ。私は嫌いじゃなかった。髪を梳いて額にキスしてくるのも、まるで宝物みたいに優しく抱きしめられるのも。昔から変な子だった私を「は他の人よりも最先端なだけなのよ。」と笑って頭を撫でる百合子さんが好きだった。 『お前は俺より先に死ぬなよ。』 灰色の雲に溶け込むように煙が昇る。死因は何てことない事故死だった。 酔っ払って歩道橋の階段から落ちたらしい。「いかにも彼女らしい死に方だな。」クロロはそう言ったきり黙ってしまった。煙が昇る。火葬場の近くには丘があって、私とクロロは百合子さんが空へ昇るのをそこで見ていた。クロロは最後まで泣く事はなくて、百合子さんの死も客観視していたけど、火葬場の煙が途切れた頃呟いた声はいつもより小さかった。人を殺してもなんとも思わないクロロが誰かの死に対してそんな風に願ったのは後にも先にもあの1回だけだ。 目まぐるしく思い出される記憶に涙が出る。 百合子さんもクロロも私を優先したことはない。どちらも自分勝手で振り回されてばかりだった。でも私の傍にいてくれた。人間らしい人たちだった。優しかった。ありのままの私を自然に受け止めて気にしなかったのはあの2人が初めてだった。だから言える。 「忘れたくなんかない。全部全部大切なんだもの。」 赤と青の光がゆらゆら揺れる。 懸命に見つめようとしたものの瞼が重くて仕方がない。光が陰る。 どこなく悲しそうに見えた。それから急に真っ暗になって、意識が吸い込まれるように飛んでいった。 その後の事はわからない。 |
決 し て 、 絶 対 に
(出来の悪い【家族ごっこ】だったけれど、私は2人が好きだった)
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