携帯のバイブ音で目が覚めた。
遮光性のカーテンのせいで辺りは薄暗い。
壁にかけた壊れかけの時計を見ると午前5時を少し回ったところだ。


「・・・・はい、」


寝起き声のまま出る。6月と言えどロンドンの朝は寒い。床に落ちた毛布を拾い上げ、蓑虫のように体に巻きつけると、電話の向こうでおなじみの声が寝不足の頭にがんがん響いた。


『テメェいつまで寝てる気だ。3コールまでに出ろって言ってんだろ。だらだらやってんじゃねーぞ。』
「・・・・、」
『聞いてンのか?!』
「はい・・・はい、聞いてます。聞いてるから怒鳴らないで・・・。メロの声、響く・・・・。」
『ハァ?それはテメェの頭が働いてない所為だ。俺の所為にすんじゃねーよ。どうせソファでネットしたまま寝たんだろ。』


メロさん正解。この男には千里眼でも付いてるのだろうか。
目の前には飲みかけのマグ、隣には繋がったままのノートパソコン。ついでに今いるところはソファの上だ。
図星を差されて何も言えないでいると、メロが呆れたため息をついた。


『・・・まぁいい。それより俺もマットもそっちに帰るのが予定より遅くなる。』
「何かあったの?」
『いや、連続殺人事件の方も犯人に目星は付いた。ただその後がな。』
「その後?」
『俺らは日本側からすりゃァ余所者だ。自国の事件を余所者に解決してもらったとなれば立つ瀬がねぇ。終わったからって“はいさようなら”とはいかねェだろ。書類とか色々あんだよ。』
「あー、そっか。」
『とにかく来週までには帰る。それまでに部屋片付けとけよ。じゃぁな、。』


メロは言うだけ言うと私の返答も聞かずにブツリと切った。
後に残ったのは空しい電子音だけ。それにしても何故部屋が汚いってわかったのだろう。此処3週間、私を扱使う悪の帝王みたいなメロとマットが仕事で不在のため、部屋を散々好きに使ってしまった。普段はマットに邪魔されて見れないテレビも飽きるまで見て、冷蔵庫に入れておくとメロに食べられてしまうプリンを豪快に食べた。食器だけは洗ったものの、部屋が汚いと怒るメロ(自分では片付けないくせに)がいない我が家があまりにも最高だったので、1LDKの小さな家は脱ぎ散らかした服があっちこっちに散らばっていた。


ソレを眺めながら、しばらくソファの上でぼーっとしてみる。
無理やりたたき起こされたものだからいまいち次の行動に移れない。なんとかパソコンの電源だけは切ってソファに寝そべる。まだ5時半だ。眠い。毛布をもう1度掛け直して目を閉じると鈴の音がした。次いでソファに軽い振動。ふわふわの何かが頬を撫で、にゃぁ、と猫の鳴き声が耳元で聞こえた。薄く目を開くと見慣れた黒猫が顔の近くに礼儀正しくきちんと座っている。


「ハル、」


呼ぶと長い尻尾をピンと伸ばした。
黒猫のハル。此処に3人で越してきた日に路地で拾った猫。最初は黒猫だからブラックにしようとしたけど、マットがありがちだと言うのでハルにした。此処から遠い東の国で“spring”の意味。私が1番好きな季節でハルと出合った季節。プリムローズが色とりどりに咲いていたのを今でも覚えている。


ハルは人間染みた仕草で時計を見て、私を見た。
心なしか呆れを含んだ目をしている。メロみたいだ。メロはなにかと私にうるさい。私が面倒くさくてソファで寝ようとすると問答無用でベッドに追いやるし、ある時なんか首根っこを掴まれてベッドに放り投げられた。上のベッドで音楽聴いてたマットがゲラゲラ笑ってたっけ。(うちは3人で住むには狭くてリビングのソファに1人、寝室―部屋の4割がハッキング・ウィルス解毒開発用のデスクトップ型パソコンで占められているから私たちは作業室と呼んでいる―の2段ベッドに各1人ずつ寝ている)(1段目を私が使い、マットとメロは2段目とソファを適当なローテンションで使っているようだ)


「そんな目で私を見ないでよ。少し寝るだけ。すぐ起きるって。」


ハルは半眼のままだ。全くもって人間臭い。
逃げるように目を閉じると数秒置いて顔近くが暖かくなった。何だ?と思って目を開ければハルが目の前で丸くなっていた。ハルも寝るらしい。呼吸に合わせて黒い毛で覆われた背中が上下する。静かな時間だ。サアサアと降る雨音に再び眠気がさしてきた。昨日の天気予報では10時ごろから晴れるらしい。本当だと良いけど。そろそろ洗濯物も溜まってきた。ここらで一回洗濯したいものだ。第一、部屋の片付けが進まなくなる。


ハルを潰さないようにもぞもぞと動くと壁1つ向こうでフクロウの鳴き声が聞こえた。此処は家賃が安い。だから壁が薄くて何を言っているかわからないものの隣の家の声とか物音とかが筒抜けなのだ。幸いうちは角の部屋で上も隣もいなかったから気楽だったけど、これからはそうもいかない。隣人が出来たのだ。煩い人じゃないといいけれど。顔はまだ見かけていないから何とも言えないが、此処の所女性の喘ぎ声が聞こえるからおそらく男性だろう。それに日によって喘ぐ声が違う事から複数の女性と関係を持っていると考えて良い。


雨が降る。寒いのは嫌いだ。
毛布を首まで被って目を閉じる。そう言えば隣人が出来た事をメロにもマットにも言っていない。後でメールしておこう。きっとメロは嫌そうな顔をしてマットは面白そうな顔をする。いとも簡単に想像できた2人の顔に思わず笑う。隣人の名前はなんだったっけ。


そう、シリウス・ブラックだ。


レトロアパートの朝 
(おやすみブラザー、おはよう私)

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