太四老である吹雪には一人娘がいて、名をと言う。 でもそれは逸聞だ。 下らない真実だ。 笑うしかない 「もうすぐ太四老の方々の部屋に着く。身だしなみを整えておけ。」 「はっ。」 長い廊下。前を歩くのは年のいった男性だ。 白い上下で袴姿の、多分陰陽殿の使用人なのだろう。何となく高慢さを含む言い方だったがは気にすることも無く素直に頷く。すると男の目が幾分か和らいだ。 「そうそう、その素直さが必要なのだ。最近のわっぱにしては礼儀がなっているじゃないか。」 「恐れ入ります。」 帽子深々と被りなおし、会釈をするとますます気を良くしたようだ。部屋に着くまでの間、男の自慢話や説教染みた話、果てには縁談話(しかもを男だと思っている為自分の娘を紹介する始末)まで持ち出してきた男に対して彼女は相槌を打ったりにこやかに上手く交わしたりと対抗する。 「年も頃合だ。悪い話ではないだろう?」 「しかし、まだ仕事が安定しておりませんので。」 「何を言う。今宵から太四老付きの案内人ではないか。」 「給料的にはあまり変わりはありませんよ。これでは所帯を持ったとして娘様が苦労なされるかと。」 「ほほぅ、そこまで考えているのか。」 感心した声で男が笑った。目元の皺が一層深く刻まれる。さっきまでの高慢さが嘘のように親しみを込めた雰囲気を醸し出す男に帽子の下でも笑う。しばらく歩くと松が描かれた豪華な襖にたどり着いた。今までとは明らかに違う緊張感。 「例の案内人お連れ致しました。」 今まで話していた穏やかな声とは違う張りのある声だ。 「入れ。」 喉に刀を突き立てられたような冷たい声。 は目を閉じて、開く。ぐっと握り締める拳には汗が滲んで気持ち悪い。此処からは一人で入らなければならない。男に肩を掴まれ、驚いて顔を上げると真面目な、何処か不安そうな顔をかち合った。 「幸運を。」 太四老の気まぐれは有名だ。冷徹で残酷と聞く。気まぐれで死んでいった者は数知れない。小声で囁かれたソレにはニコリと笑って頷いた。 「貴方にも。」 そして襖に手を掛けた。 差し込んだ光の中、四人の姿が映し出される。一人は面白そうに見定め、その男の隣には興味ありという目つきをした別の少年が入る。隅の柱に寄りかかっている男は伏せた瞳で一瞥した。最後の一人は―――――――冷たい瞳だ。は襖を閉めて、膝を揃えて座る。 「今宵より案内人を務めさせて頂きます。お見知りおき下さいませ。」 そう言ってそのまま両手の親指をそれぞれの膝の外に押し付けて腰を折るとそう硬くなんなよ、と声を掛けられた。ふと顔を上げてみる。 「俺の名は遊庵だ。んで、こいつが時人。暗い顔してんのがひしぎで無表情なのが吹雪。」 一人一人指差していく遊庵にの目も一人一人を映していく。そして最後に行き着く人物の姿も逸らす事無く見つめた。黒と黒の瞳がかち合う。まるで氷だ。極寒の地で研ぎ澄まされた鋭い氷。 この人に似たのは本当に瞳の色だけだ。 暗く凍て付いた瞳を眺めながらなんとも呑気なことを考える。顔の造りも、髪の色もましてや性別も。全然似る事がなかった。瞳だって色は同じでも宿す光も表情も違う。本当に色、だけ。ソレは多分吹雪にとってどうでもいい事で、のとっても意味の無いことだ。自然と漏れた笑みに目の前のその人は少し驚いた顔をした。 「お前、名前は?」 投げかけられた質問には遊庵に目を移す。目が合うと口元を上げて笑いかけられたので他称“気の抜けた”顔で笑い返した。やっぱり少し驚かれた。 「と申します。」 「、かぁ。」 「吹雪さんとは随分似てないね。」 横から入れられた問いに彼女はきょとんと、遊庵は慌てたように隣を睨んだ。本当に吹雪さんの娘?くすくすと馬鹿にするように笑う時人。残酷なことを言うものだ。遊庵は心の中で舌打ちをする。自分たちが目の前にいるこの案内人が吹雪の娘だと知ったのはついこの間だ。面白い案内人がいると言う噂を聞いて推したとき、ひしぎが言っていた。 “その案内人、吹雪の娘ですよ” いつもの顔でさらっと言ったのだ。遊庵と時人が驚いて吹雪を凝視すると“そんな者もいたな”と一言で終わった。その声は恐ろしいくらいどうでもいいと言う口調だった。 哂う時人から目を移して吹雪を見る。いつもの無表情で彼女を見ていた。薄ら寒くなる程の無関心。その隣のひしぎは黙ったままだ。残酷だ。もう一度強く心中で呟く。 「はぁ、多分そうだと思います。」 その声に遊庵はぎょっとする。何とも気の抜けた声だ。見れば三人ともそれぞれ驚いた顔をしていた。た、多分?遊庵の声には困った顔で頷く。 「母からはそう聞いておりますが、確かな事ははっきりしていませんので。」 彼女の母は昔から人より気の多い女性だった。だからはっきりは判らない。しかし吹雪と籍を入れてを生むまでの間は関係を持っていなかったはずだ。九割方吹雪の子に間違いはない。あまりにも予想外な答えに時人は目を見開いて固まっている。 「しかしながら、時人様。失礼承知の上で申し上げますが、ソレにどんな価値がありましょうか。血縁が有ろうと無かろうと俺は俺ですし吹雪様は吹雪様。従と主の関係にそれ以上も以下も必要ありません。」 ニコリと笑う。その漆黒の瞳は強い。研ぎ澄まされた氷を想わす吹雪の瞳とは別の、刀の鋭利さを秘めた瞳だ。呆然としながらも遊庵は彼女が吹雪の娘である事を思い知った。 「へーぇ、面白いじゃん。」 今まで驚いていた時人が好奇の目でを見た。さっきまでの見下す態度ではない。 「言っとくが俺が見つけたんだからな。」 明らかに気に入った声でそう言うものだから慌てて遊庵が釘を刺す。“俺が”のところが異様に強調されて、些かひしぎが眉を寄せる。 「。」 今まで傍観を決め込んでいた吹雪が目を細めてを見た。何処となく機嫌の良い顔をしている。 「はっ。」 も恐れる事無く見返した。 「今宵から正式に太四老付きの案内人を命ずる。」 四人の目がいっせいに彼女を見る。一般の人なら太四老の一人に見つめられるのも耐えられないだろう。正直だって平気であるわけじゃない。 「その名に恥じぬ活躍を期待している。」 静かな声。の口元が吊りあがった。自嘲ではない。嘲笑でもない。ただ、自然と。悪意も善意もない笑み。昔、夢があった。ずっと、まだ子供だったときの。 父親と共に暮らすと言う夢。 「はっ!この、愛刀“狂月”に誓って生涯太四老の方々に御遣いいたします。」 なんとも馬鹿馬鹿しい夢だな。住む世界が違いすぎる。自分は従で相手は主だ。愚か過ぎて笑えてくるよ。仮に。仮に一緒に暮らしたとして、それどうする。存在を認められて、それでどうなる?追いかけて追いかけて、その先に何があるというのだろう。 今はただ笑うことしか出来ない。これからも。この先も。 (ただ静かに。全てを享受し同時に拒絶してゆく。) |