神がこの世界を作られた時、6日間かけて働かれ、7日目に休まれた。 そのため週の最後の日は『安息日』といって労働する事を禁じられている。 と言うのが聖書の天地創造だ。ぼんやりと桜を眺めながら書斎のどこかにある聖書の一文を思い出す。は神様なんて信じていない。いないが、そう聖書に記されていたのは事実だ。今日は日曜日。安息日だ。この日は労働してはいけないと言うのに9時に叩き起こされ、買い物に行かされている。なんというか、もう、 「・・・・安息の意味なくね?大根とかって安息日に買う事なくね?」 ポツリと呟いた声は花見客の笑い声に掻き消えた。 ブルーシートが敷き詰められた公園内は右を見ても左を見ても前を見ても人だらけだ。1番近いブルーシートには中年のサラリーマンが赤い顔をして笑っている。手には缶ビールが握られていた。周りもおんなじ様な状態だ。花見で花を見ている人はどのくらいいるのだろう。どうでもいい疑問が頭の中でひょこっと顔を出す。少なくともの周りにいる大人たちは花より酒だ。だって花よりも美人な保護者の作る料理に夢中になっているのだから人の事言えないのだが。公園入り口にある車出入り禁止の棒に座りながらはボーっと公園内を眺める。かれこれ10分はこのままだ。頼まれた大根は買い物袋の中に突っ込まれている。 ひらひらと舞い散る桜を眺めてため息をつく。 今日は1日中ゴロゴロするつもりだった。今日は暖かいし、日も出ているので傾きの少ない屋根に布団を敷いてうつ伏せになり、クラスの友達に借りた漫画を読む予定だった。夜にある宴会と言う名の夜桜見物まで家から一歩も出ないと昨日の夜、己の中で決めたのに早々に覆されている。同居人の美人を責めようにも彼女は今、今夜の宴会の弁当作りに奮闘している。流石に自分の晩飯の用意をしている人に文句は言えない。言った所でキレられるに違いない。はもう1度ため息をついた。携帯の時計に目を落とすとデジタル文字が12:00丁度を示している。家を出たのが9時半。すでに2時間半が経過していた。わははは、と笑う酔っ払いを眺めながらこの中でシラフで親切な人はいないだろうかと考える。もうそろそろ迷子でいるのも飽きてきた。 が迷子になるのは今に始まった事ではない。 は生まれた時から迷子の天才だった。まず土地勘がない。それから土地に関して立体的に見る能力が乏しかった。そのくせ道を覚える気がまるでないのだから手に負えない。彼女の家族はそれなりに覚えさせようとしたが、一向に覚えない彼女と彼女の父親である男が「ま、なるようになるだろう」とダメ発言をした所為で脱力し、それ以降のカバンには携帯と財布の他に地図が必ず常備されるようになった。(方向音痴とは彼女のためにある言葉だが、そんなも地図があれば人並みに外を歩けるのだから「なるようになるだろう」と言う言葉は満更嘘でもない。他のメンバーにしてみれば腹の立つことではあるが)春の濃い青空に桜の花弁が白く舞う。欠伸が出た。春眠なんとやらだ。そもそもが迷子になった原因はこの桜にある。近所の商店街までの道のりが描かれた地図を元に家に帰る途中、風に乗って舞い落ちたのが桜の花弁だった。次々に空を舞う花弁を追いかけ、周りをろくに見ないで公園にたどり着いてしまったのが敗因である。地図にはこの公園は描かれていない。完全に道を見失ってしまった。メガネを外し、欠伸で浮かんだ涙を拭う。ふと騒音の中に見知った人の足音が聞こえ、はのんびりとメガネをかけて顔を上げた。ひょろりとした長身。短めの黒い髪。10メートルほど先にはが予想したどおりの人が人ごみの中をすいすいと歩いてくる。山本武。並盛中のスターだ。野球部のエースだと聞く。直接話したことはないが、彼の噂はでも知っているほど有名だ。スターでも花見はするのかと、がどうでもいい事に感心していると偶然にも彼と目が合った。すっと鼻筋の通った爽やかな顔立ちが驚きに染まり、次の瞬間には笑顔になる。 「佐藤!」 片手を上げて小走りで近づいてくる彼の姿はCMにでもありそうなほど爽やかで、ミントの葉でも隠し持ってるんじゃないかと疑いたくなる。は応えるように右手を挙げたが、内心では彼が自分の名前を知っていたことに少なからず驚いていた。自慢ではないがは成績がトップなわけでも部活でエースなわけでもない。委員会だって去年は1番地味な給食委員だった。 「佐藤も花見か?って、話すの初めてだよな。俺は、」 「山本君でしょ。野球部の。」 「知ってんだ?」 「有名だからね。」 「有名なのは佐藤の方だろー。校内遭難の佐藤って。」 それを聞いては少し眉を寄せた。 不快なわけではない。ただ恥ずかしい過去を思い出して自然と顔が険しくなっただけだ。といっても僅かなので山本が気付く気配はない。校内遭難の佐藤。そんな通り名がついているとは思わなかった。そういえばその事件が起きてから教師が妙に優しくなった気がしないでもないし、風紀委員からは毎月校内の見取り図が配布されている。 が校内で遭難しかかったのは中学校に入って1ヶ月が経った頃の事だった。 いつも一緒に帰っている友人が委員の用事で1人で帰ることになったは、決して広くはない校内でまさかの迷子になった。どこを歩いても昇降口に辿り着かない。その間に生徒は少なくなり、日が暮れ、暗闇が訪れた時には以外の足音は聞こえなくなっていた。これはもう1夜を過ごすしかないかな、と諦めた頃、たまたま見回りをしていた雲雀に出くわし、九死に一生を得たのだ。「学校で遭難って・・・・君バカなの?」そう言い放った雲雀の顔はいつもの冷静な顔が嘘のように驚いていた。その次の日だ。雲雀が直接の教室に来て「もう遭難しないでよ。迷惑だから。」と校内の見取り図を渡してきたのは。その所為で「佐藤は校内で遭難しかけた」という噂が瞬く間に広がり、は知らないが並盛中の七不思議の1つに数えられている。 「山本君は花見の帰り・・・ってわけじゃないか。荷物ないもんね。」 「俺は買い出し。ほら、近くにコンビニあるだろ?そこまでな。この奥にさ、凄いきれいな桜があってそこでツナや獄寺たちとやってんだ。あぁ笹川さんも一緒。」 「京子ちゃんも?」 笹川京子はのやや幼馴染だ。 “やや”が付くのはが京子の家の近くに越してきたのが小学校3年の時で、それ以来の友達だからである。京子の名に反応したに山本は「そうだ、佐藤も一緒に花見やらねぇか?」と聞いてきたが、やんわりと断った。自分は招かざる客だ。山本と京子以外は話したこともない。知り合いになれるチャンスと言えなくもないが、折角ゆったりと花見をしている彼らの所に行くのはあまりにもKYだと思った。 「それに買い物の途中だしね。うちは夜から花見なんだ。」 「家族とか?」 「そう。」 なら仕方ねぇな。最初と変わらない爽やかな笑みを浮かべる。 彼の爽やかさは何処から来るのだろう。もしかしたら彼の中に爽やかを製造する発電所的なものがあるのかもしれない。の周りには爽やかとはかけ離れた人しかいないので新鮮に感じる。はしばらく山本を眺め、それからその爽やかさに甘んじる事にした。 「山本君。」 「ん?」 「お願いがあるんだけど、」 「なんだ?」 「遭難しています。もしよければ並盛通りまで連れてって下さい。」 気の抜けたような笑みを浮かべ山本を見上げると、彼はきょとんとした顔をし、次いで噴出した。 「ここまでで大丈夫か?」 「うん、ありがとう。ここからは地図があるから大丈夫。」 「地図・・・読めるのか?もし無理そうなら送るけど。」 「大丈夫、大丈夫。地図があれば人並みだから。わざわざごめんね。助かったよ。」 年季の入った地図を取り出し、軽く笑うと山本は納得したようだ。 山本とはそこで別れた。途中で見つけたコンビニに行くことにしたらしい。公園の近くにもう1つコンビニが合ったのだから、そこで買えば重い袋を持つ時間が短くてすむと思うのだが、なんでも彼が好きなアイスはここのコンビニ系列しか置いていないのだと言う。山本の成長途中の背中を見送りつつはのんびりと地図を広げた。折り目の端がボロボロになってきていて、そろそろ替え時だ。すると急に携帯のバイブ音が聞こえた。片手で携帯の画面をパカリと開けると料理を作っているだろう美人の名前が表示されていた。 「はい。」 『、あなた何処をほっつき歩いているの?もう3時間は経つじゃない。ちゃんと大根買った?』 「買ったよ。買い物袋から飛び出すほど大きいの。」 『だったら花見の下見なんてしてないで早く帰ってきなさい。』 「・・・・・・・。」 そういえば、とは携帯を横目で見つめる。 結構前に学校から帰ってきたらシャルナークが家にいて「の携帯にGPS機能つけたから」とイイ笑顔で言っていた気がする。だったら早めに電話してくれれば良かったのに。そうすれば迷子にならずにすんだ。きっと家にいる暇人どもは、携帯の画面上でうろうろと動くを肴に酒を飲んでいたに違いない。の臨時美人保護者であるパクノダの後ろから暇人どもの笑い声が聞こえる。 「好きで下見したわけじゃないし・・・・というか、シャルさんとかあそこの強化系3バカトリオとかGPS見てたでしょ?絶対。迷子になってたの絶対わかってたよね。」 『見ていなかった、とは言えないわねぇ。』 「それ見てたって事だよね!曖昧に答える必要ないよね!!」 のんびりと細長い指を顎に添えているパクノダの姿が安易に思い浮かぶ。 この人は中々、仕事とオフの時の差が激しい。仕事モードの時はバリバリキャリアウーマンみたいな働きをするのだが、オフモードでは時々おっとりすると言うか、のんびりと答える時がある。他のメンバーも似たり寄ったりだが。1番温度差が激しいのは他のメンバーをまとめるリーダ的な役割の男だ。思慮深く、常に冷静で先の先を読む男は、オフになるとただのマダオになる。まるでダメな男。略してマダオ。料理は出来ない、掃除もしない、出来ることは本を読む事と食べることくらいだ。以前に米を研ぐ様に言ったら洗剤で洗っていた。オフの彼は使い物にならない。それがメンバー内共通の認識である。が絶望的に方向音痴なのも彼がオフになると―とまではいかないものの―同じように迷子になるからだと、メンバー内ではもっぱらの噂だ。きっと遺伝したのだろう、と。 「心配しなくてももう帰るよ。」 『違うわよ。ねぇ、悪いんだけど・・・おつまみ買ってきて欲しいの。3バカが全部食べちゃったのよ。』 本当に使えないんだから・・・、ため息をつくパクノダの後ろから「そりゃねーだろ!花見の力仕事は俺たちがすんだしよォ、景気付けにちょっと食っただけじゃねーか」と言う声が聞こえる。おそらくフィンクスだ。基本的にの住む家にはとパクノダの2人が住んでいる。他のメンバーは国内外問わずふらふらとしていて時々思い出したかのように家に来た。一応みんな塒はあるらしいが、全員個性的と言うか大人しくしていられない性格なので塒に帰るよりは、たちの家に来る方が多い。その所為か彼らの中では“家”と言えばこの佐藤家を指すらしい。 「・・・なんか集会には全員集まらないのにこういう行事には呼んでないのに全員来るよね。宴会好きの盗賊なんて聞いたこともない。」 「確かに。でも楽しくていいじゃない。あぁ、あなたのお父さんがプリンがどうとか騒いでいるわ。ついでにプリンも買ってきてくれる?」 「それは私の父じゃないよ。多分後ろに(仮)がつく。“お父さん(仮)”って。」 が真顔で言えばパクノダはツボに入ったのかくすくすと笑い、「あなたのお父さん(仮)がプリンを食べたがっているから買ってきてちょうだい。」とわざと大きな声で言う。後ろで荒々しい足音がして「誰が(仮)だ!」と言う声が聞こえ、周りの爆笑する声が後から聞こえた。 『今度は迷子にならないでよ?』 「わかってるよ。」 『それからちゃんとお金を払って買ってきてね。盗んだりしないでよ?には学校卒業するまで全うに生きて欲しいんだからね。』 「はいはい。」 全うに、なんて天下に通る犯罪者の言葉とは思えない。 しかしパクノダを始め、マチやノブナガなどの穏健派はそんな事をよく言った。他のメンバーも口にはしないものの彼女の生活範囲内で派手な殺しをすることはなかったから、それなりの配慮をしているのかもしれない。にとっては別に気にされるほどの事でもないのだが、メンバーがそういう方針なら大人しく従うまでだ。反抗する理由もない。暖かい風に欠伸が出る。右手に地図、左手に携帯。歩き出すの横を子供達が笑いながら通り過ぎていった。 「そういえばお金もう余ってないんだけど。」 『ならどっかの誰かの財布からスッてちょうだい。5000円あれば足りるから。』 「・・・・・・・うん、やっぱりパクノダさんも旅団の人だよね。」 モノの盗みは犯罪で、金を盗むのは全うにカテゴライズされる彼女の頭は一体どうなっているのだろう。 全うと言う言葉を使う彼らに1度『全う』の範囲はどこまでなのか聞いてみたいものだ。きっと無差別で殺すのは犯罪だけど、正当防衛は仕方ないよね☆と言うに違いない。 彼らの頭はやっぱりどこかぶっ飛んでいる。 |