カラン、と店のドアを開けたのは長身で飴色の髪をした人だった。 騒々しい店。客の叫び声。その人の声を掻き消すには充分な雑音なのに。 「どうも。」 凛とした声は今も阿音の耳に残っている。 「綺麗な人ね。」 「髪の色が素敵だわ。」 「指名してくれないかしら。」 きゃぁきゃぁと頬を染めて囁く女性達。彼女達の視線の先にはママと穏やかに話しているその人。すらりと長い手足が深縹の絞り染めの着物からほど良く見え、其の肌は象牙の色をしている。帯刀している事から幕臣である事が伺えた。蜂蜜色の髪が着物にも肌にも合っていてどこかのオッサンとは天と地ほどの優美さである。ドンペリ、ドンペリと叫ぶ声にその人がママと何を話しているのか聞き取れない。それが何故か阿音にはもどかしかった。沢山の男を見てきて、沢山の男に貢がせた。男なんてみんなバカで屑だと思ってた。なのにその人を見た瞬間、胸が熱くなるのを感じた。まるで自分が自分じゃなくなるような。そんな気持ちになる。 「阿音ちゃん次は何が飲みたいんだ?オジさんに言ってごらん。」 肩を抱かれて松平とか言う男がいやらしい顔で笑う。そうだ、今はそんな事考えている場合じゃない。あの女よりも売り上げを上げなければ。慌てて笑顔を作り直してドンペリと口にする。途端に歓声が響いた。ちらりと彼がいたところを見るとそこには誰もいない。思わず辺りに目を走らせた。蜂蜜色は鮮やかに揺れて、向かいの席で止った。そう、阿音が“あの女”と呼ぶお妙の前で。 「あら、こんばんは。」 彼に気付いたお妙が驚いた顔の後、笑う。それは何処か恥じらいと愛しさを持った笑みだ。彼もにこりと笑って お久しぶりです、と美しい声で囁いた。面白くない。何故貴方は私よりもそんな女を選ぶの?私のほうがずっと綺麗で可愛いのに。ねぇ、私を指名しなさいよ。貴方だったら金銭がなくても相手してあげてもいいわよ?あの女よりも胸だってあるわ。ねぇ、私に。唇を無意識に噛む。ふとお妙と目が合った。細まる瞳。ドキリとする。見透かされた。 「あー?なんだじゃねーか。」 松平の声に綺麗な人は振り向く。ジワリと胸が熱くなった。 「長官もいらしたんですか。」 「おう、どうだ。一緒に酒でも飲まねーか?ソコのゴリラはとっくに金の底を付いてるだろーしな。」 ふんと笑って生気を吸い取られた屍のような近藤を顎でしゃくる。と言う人は困った顔で頭を掻く。 「パパもそう言っていることだし、どうぞv」 これはチャンスだ。心の中でほくそ笑んで阿音は完璧な笑みを零す。ちらりとお妙を見れば無表情だ。更ににんまりする。冷静な顔なのに瞳は青々とした炎が阿音を睨み付けていた。ふふ、と小さく出た笑い声に阿音の意識もお妙の意識も完全にへと行った。 「綺麗なお嬢さん、嬉しいお誘いだけれど遠慮しとくよ。長官もすいません。」 「なんだよ、付き合い悪ぃなー。いいだろ一杯くらい。」 「このあと退とミントンする約束をしてるんです。」 穏やかな声でそこまで言うとはくるりと後ろを振り向き、 「近藤さん、帰りますよ。」 と近藤の腕を掴んだ。近藤は でも金が、と泣きそうな子供のように呟く。それにが笑った。仕様がないなぁと言うように。胸が一気に高まるのを感じた。向かいを見ればお妙の顔が赤い。自分も彼女と同じだろう。 「一応私の財布を持ってきましたから大丈夫ですよ。あまり使わないから結構余ってるんです。」 ー!!と近藤が飛び起きてその人に抱きついた。身長的には近藤の方が高い。その為一、二歩よろける。しかし笑って受け止めた。飴色の髪が柔らかく揺れる。ぽんぽんと背中を叩いては近藤を促した。店先を出る時、一度だけは阿音とお妙を振り返り目を細めて穏やかに笑った。唇が緩やかに弧を描く。 「それでは、また。」 が男ではなく女である事を阿音が知ったのはそれから日課ほど経ってからだ。しかし、残念だと思うことは不思議となく、逆に女性だからこそあんなに綺麗なのだと納得した。帰り際に微笑んだ顔を思い出して阿音は胸をときめかせる。 |
く ち び る