いいか、総悟。男ってのはな、一生に一度命を懸けるときがある。 それは仲間の為かもしれないし、はたまた自分自身の為かもしれねぇ。 俺はなァ、総悟。愛する人の為に死にたいと思うんだ。 近藤さんは酒の入った赤らんだ顔でそう言って俺の頭を撫でてくれた。 さんが真選組に入ったのは攘夷戦争が本当の終盤を迎えたときだった。飴色の髪を揺らして腰には白い刀を差して。彼女はニコリと微笑む。 当時俺を含めて隊士の大半は彼女の事をあまりよくは思っていなく、軽蔑の目を向けていた。攘夷から寝返った血も涙もない女。それでもさんは気にした風のなく颯爽と自分たちの横を通り過ぎるのだ。凛とした横顔で。ソレは何処か自由風のよう。何にも捕らわれない風そのものだった。 そんな姿にいつしかみんな心惹かれるようになり、その穏やかな気性に親しみを感じるようになった。ただ、俺だけが彼女にいつまでも慣れないままで。仲良くなっていくさんを 今までアンタが裏切ってきた奴等と同じく俺らも裏切るんだろと嫌悪の目で見ていた。 ソレが変わったのはいつだっただろう。 確かいつもの稽古時間が終わり、みなが思い思いに休憩を取っていた時だったと思う。 さんは真選組に入ったその日から真選組随一の剣の使い手だった。その細腕で相手の動きを封じるほどの力を持ち、その刀一振りで敵の肉と骨を断つ。猫のようにしなやかな身のこなしで何度も死番を務めた。恐ろしく強く、桁外れの精神力を持ったさんは土方さんをも信頼を寄せる存在となり、もはや何でも揃っている完璧人間だった。俺はソレがすごく嫌いで挨拶されても無視するなど、今考えればぶん殴ってやりたいようなガキだった。 しかし、一番嫌いだったのはさんだけ俺に稽古を付けてくれなかったからだ。特別扱いさけたいわけじゃない。むしろ対等な関係を望んだ。本気で試合したかったのだ。強いといわれ、負け無しの彼女と。ただ、純粋に手合わせしたかっただけだったのだ。 だが、さんはいつも困ったような笑みをして もう少し大きくなったら。と簡単に交わし何処かに行ってしまう。大人とか子供とかそんなの関係ない、と何度言っても彼女は笑い、結局何処かへ出かけてしまっておじゃんになる。 「よく此処がわかったね。」 後ろを振り向かずにさんは言った。潮の匂い。波の音。彼女はコンクリートのブロックに座って海を眺めている。 「伊達に数日アンタを尾行してたわけじゃねェでさァ。」 「あはは、そうだよね。」 やはり困ったように笑う。また子ども扱いか。むかっ腹が立ってわざと隣に腰掛けた。 「アンタが俺と手合わせするまでは俺は何があっても付け回りますぜ。」 「別に手合わせしないとは言っていないでしょ。大きくなったらと言ってるんだ。」 「俺はもう十四だ。子供扱いはしねェでくだせェ。」 「私にとっては子供に見えるのだから仕様がないだろう。」 「・・・・・子供は斬れねェってんですかィ?」 「そうだよ。」 「バカにすんな!」 持っていた竹刀を振り下ろす。カァンと鈍いような鋭いような音が鳴り、さんがいつも持っている煙管でいとも簡単に止められてしまった。奥歯を噛む。畜生。鋭く睨めばやはり困った顔で返させる。さんは静かに煙管を懐に収めると再び海へと目を移した。 「馬鹿にしているわけじゃない。」 「だったら」 「言っただろう?」 「?」 「子供は斬れないって。」 一瞬風が凪いだ。揺れる髪はさらりと治まる。さんの目は海を見たままだ。 「攘夷戦争の中には隠密というのがあった。」 何かを朗読するような淡々とした声音。横顔が刀の切っ先のように美しかった。 「隠密は天人だけでなく人間すら斬る仕事だ。裏切った仲間を、ね。 当時私ともう一人がその仕事を請け負い、数えきれない仲間を切り殺した。」 難儀な話だ。寝床を共にした仲間を斬らねばならない。 「その仲間の大抵は総悟、キミと同じぐらいの子供だよ。」 「・・・・え」 「父親を失い支えをなくした少年達が家族を支える為に天人のスパイとなって送り込まれた。」 「・・・・・・・。」 「彼等はそうするしか方法がないんだ。こんな世の中で金を出してくれる人間なんてありゃぁしないんだからね。」 吐き出すような彼女らしくない言い方に俺は言葉を失う。 「『金がなければ食べ物は買えない。食べ物がなければ生きられない。家族は日に日に痩せていく。自分がしっかしりしなければ。』そう思って天人につく子供たちを何人も殺した。例えそれが自分に懐いていた子だとしても。」 さんは悲しみとも怒りとも言えない顔のまま静かに目を伏せる。琥珀の瞳が暗く沈む。 「時々ね、稽古中のキミを見ていると怖くなる。あの子達も人一倍努力家だった。重なるんだ。そして消えない。」 どうどうと波の音が防波堤に打ち寄せる。カモメの鳴き声が物悲しい。 はぁ、と彼女は長い息を吐いた。無理に笑おうとして笑いきれなかった唇は不器用に緩んでそのままになっている。彼女の手は小刻みに震えていた。 海鳴りがする。もう満ち潮の時間だ。さんは一度痛みを耐えるかのように硬く瞳を閉じて、だから今はダメ。もう少し、大きくなってから、ね?と言って立ち上がった。震えた手は止まらない。思わず手を絡めた。さんは最初は驚いた顔をしたが握る手を強くすると苦笑混じりに今度こそ穏やかに笑った。 あの日の情景がいつまでも俺の目に焼きついて離れないのだ。震えた手。強く閉じた瞼。 守ってやりたいと俺は確かにあの時思った。 この人は。自分が思っていたよりも優しい人だったのだ。そして優しいがために弱い。確かに自分よりも強く、私情を挟まない人だ。しかしそれ故、何でも抱え込む。弱い人だ。弱くて優しい自分が守らねばならない人。 近藤さんの言葉を思い出す。近藤さんは男には一生に一度命を懸けるときがあると言っていた。だったら俺が命をかけるのはこの人だ。この脆く優しい人を俺は守りたい。 人を斬る事の恐ろしさも死ぬと言うことの恐ろしさも知らずにだた強くそう思い、彼女の手を握った。 そう思った時から俺はさんが好きだったのかもしれない。仲間としてではなく女として。 「さん。」 「んー?」 呼べば生返事か聞こえた。俺の前で彼女はあの時と同じように波が押し寄せては引いていく海を眺めている。四年経った今もさんは時々こうして海を見に来ていて四年経った今でも俺はさんを追いかけている。 「まだですかィ?」(気付いて下せェ) 隣に腰掛けて海を見ながらそう訊く。この人はこの先も子供には手を出せないだろう。それでいい。そのぶん俺がアンタを守る。この命を懸けて。 「もう待ちくたびれやしたぜ。」(アンタが好きだ) 潮の匂いは風に流されて沖へ沖へと流れていった。何処まで行くのだろうか、と独り思う。 「俺はもう十八ですぜ。もう立派な大人だろィ。」(男として見て下せェ) そう言うと彼女はにやんと見惚れるような笑みのまま 「まだですよ。」 と、一言。円形の紫煙は風に流される。そんな彼女に俺は思わず苦笑した。 (嗚呼 何でこの人はこんなにも遠いのでしょうか。) |
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