三月の下旬だった。
ぼんやりと土方は空を眺める。遠くですすり泣く声が聞こえた。青い空だ。風もない船もない、莫大な空が広がっていた。
(蒼すぎる)
苛立ちを覚えてポケットをまさぐる。と、横から煙草と百円ライターが差し出された。訝しげに斜め上を見ると案の定、実り色の髪。目が合ってにやんと笑う。


「はい、煙草。」











雪の降る日








青い空を蹴散らすように紫煙が二つ、昇る。隣に腰掛けたは煙草を渡して以来一言も話さない。煙管を口に銜えては吐き出す。ソレを何遍も繰り返した。土方も何も言わなかった。ただ二人で空を眺めていた。どのくらい経っただろうか。
ふとが長く息を吐き、静かな調子で言った。


「泣いてもいいんだよ。」


・・・何言ってやがる。低い声で唸るとはもう一度 泣いてもいいと呟いた。


「泣かねェよ。」
「強がるなよ。」
「テメーに関係ねェ。」
「泣かないと泣けなくなってしまう。」
「そんなの」
「ソレは辛い、から。」
「・・・・・・・。」




琥珀の瞳がゆっくりと瞬く。濃い飴色の睫毛が震えた。


「なぁ、土方。」






「大切なものがあり過ぎて何が大切なのかを忘れてしまうんだ。
そのうち忘れてはいけない事さえ忘れて、何も残らなくなる。・・・そういう人生は良くない。」


土方の手がピクリと波打つ。視線は生垣を漂っていた。
白い手が土方の髪を梳く。何故か無性に泣きたくなった。俺は泣いてはいけないんだ。俺は鬼の副長だ。人前で泣く事は許されない。そう言い聞かせて唇を噛む。




「誰が悪いかなんて本当はみんな知らない。」


それに、


「間違ってなんかなかったよ。運が悪かった、ただソレだけだ。」



じわり、喉が焼けるように痛い。物が詰まった感覚の陥る。
が口元にだけ苦笑をこぼして、優しく土方の頭を自分の肩に乗せた。だから、との声が上から落ちてくる。








「自分を責めるな。苦しめるな。お前はもう、充分、傷付いただろ?」





なみだが、こぼれた。それにが微笑んで土方の頭を撫でてやる。其の優しさに目の見えない自分の兄を思い出す。また泣けた。







「お前のせいじゃないんだよ。」









静かに囁くように。の声が嗚咽を噛み殺す土方の耳に響いた。
吐く息はもう春になると言うのに白い。気付けば雪が舞っていた。嗚呼、と隣で詠嘆した声が聞こえる。なごり雪だね。呟く声は切ない。きっといつも微笑んでいる顔は悲しみに満ちているのだろう。




ちらつく雪が“彼”の最期の挨拶のようで土方はただただ声を殺して泣いた。













1865年3月20日
山南敬介 切腹