「だって汚いじゃないですか。」 特に汚いとも思っていないような顔で、はそんな言葉を漏らす。 赤いワインを悪戯に揺らす姿は香りを確かめる為と言うよりも手持ち無沙汰と言う方が合っていた。は酒に興味が無い。飲めないわけではないくせに、いつもソフトドリンクを飲んでいる。今、コイツが興味もないワインを悪戯に手に持ってるのは、俺が命じたからだ。“俺に恥を掻かせるな”はその言葉通り、普段は寝癖で跳ねた錆色の髪をアップにまとめ、くたびれた隊服の変わりにサテンのドレスを纏った。それでもいつもの態度は変わる事もなく形式的に俺の腕に自分の手を絡めたは笑顔のまま「本当に懇親会終わったらベスター2時間触り放題なんですよね?」と念を押してくる。見られる姿になっても動物至上主義の性格は変わらないらしい。 「人間なんて汚くてとてもビジネス以外で相手してられませんよ。」 「お前も人間だろうが。」 懇親会が始まってからすっかり壁の華と化したは、苦虫を噛み潰した顔をする。 欠伸を噛み殺したのだろう。目尻にたまった涙を細い人差し指で拭う。いつもならその場がどうであれ平気で欠伸をする女だ。ご褒美目当てだったとしても、普段思い通りにならないコイツが俺の命を忠実に守っているのは堪らなく興奮する。喉で笑えばは俺を一瞥してまたワインに視線を落とした。 「まぁそうですけど、私は動物の味方なので他の人間よりはマシなんです。」 「はっ、勝手だな。」 コイツの頭は動物を中心に回っている。 それは周知の事実で、コイツが動物園に行こうが水族館に行こうが誰も咎めない。ただその際にいつもレヴィを連れていきやがるからベルがあからさまに苛立ち、その処理にクズの命が犠牲になる。あぁ、犠牲と言うのはおかしいのかもしれない。クズはクズだ。いなくても支障がない人間。それを犠牲と言うのはまりにもおこがましい。いつまで経っても飲まれないワインを奪い、飲み干すと遠くで強い視線を感じた。見なくてもわかる。ベルだ。 ベルはコイツが入隊した頃からずっとコイツに執着していた。 その理由を俺は知らないし、興味も無い。ただアイツの人生はを中心に回っていた。ベルの目はいつだってを追いかける。今日だって懇親会のパートナーとしてリイコを与えてやったのに見向きもしない。そのくせ仕事で組ませれば組ませるでを毛嫌いするのだからベルの子供染みた独占欲は面倒でうんざりする。そしてクソわかりにくい。アイツの執着は同じようにを追いかける奴らにしかわからない。 「―――お前、ベルの事どう思う。」 暇そうに会場を眺めていたコイツは意外そうに俺を見た。 身長の関係で上目遣いになるの目はガラス玉のように何の重さもない。からっぽ、と言う言葉がしっくりくる。例え俺が目の前でリイコを抱いてもこの目に人間らしい重さが戻る事はないだろう。平気で報告をし、人の良い笑みを浮かべて退室するに違いない。とは、そういう人間だった。しばらく俺を凝視していたはいつもの上っ面だけの笑顔を浮かべ、「人間ですね」と明るい声で言い切った。ベルは人間。その当たり前の事を改めて口にするコイツの思考は長い付き合いだが未だによくわからない。ただ興味が無いことだけはわかる。ベルだけじゃない、この会場にいる人間全員が等しくの中でどうでもいい存在なのだろう。既に知っていることだが、いざ真っ向から言われるとその空っぽの目を俺の存在で重くさせたくなる。は特に気にした様子もなく「さっきかららしくない事を聞きますね。そういう質問って流行ってるんですか?」と半ば笑いながら言った。 わざとなのか、そうでないのか。 は決して鈍い女ではない。虫唾が走る人のいい笑顔の裏にとんでもない毒を潜ませているような女だ。ベルの執着にも周りの好意にも気付かないはずがない。なのには気にした素振りを全く見せなかった。全てを無視する。まるで何もなかったかのように。それが意識的なのか無意識的なのか俺にはわからないが、が性的なものを含めて好意と名の付くもの一切を必要としていないのは直感でわかった。が必要とするのは他愛もない動物多数と何の役にも立たない愚鈍1匹だ。それだけでの世界は成り立つ。 「それよりリイコさんを放っておいていいんですか?キャバッローネの10代目が」 「今はテメェの話をしている。」 「・・・本当に今日はらしくないですね。」 それっきりは口を閉ざした。 興味を失ったのかもしれない。偶然通ったボーイから新しいワインを受け取るとまた悪戯に揺らす。「飲む気がねぇなら手に取るな」うんざりしながらを見下ろすとコイツは「ボスの為に取ったんですよ」とレヴィでもすぐにわかるだろう嘘を真顔で吐いた。咎めるのも面倒での手から無言でワインを奪い取る。 「たまたま冬だったからですよ。」 ワインを飲み干した頃、がそう呟いた。 化粧で長くした睫毛が呼吸に合わせて僅かに震える。そのなんて事ない仕草に背筋がびりびりと痺れた。その細い腕を引き寄せて、減らず口を叩くその唇を貪りたい。白いシーツに錆色の髪を散らせてやりたい。だが、のいつにない殺伐とした雰囲気に衝動は鳴りを潜める。 「たまたま冬でたまたま相手は子供で、まるで子ネズミみたいだったから手を貸したまでです。それだけです。」 「・・・・何の話だ。」 「ベルさんの話です。ボスが聞いてきたんじゃないですか。どう思うって。」 「・・・・・・・・・答えになってねぇよ。」 コイツの話は支離滅裂だ。 と話していると時々動物相手に話しているような錯覚に陥る事がある。コイツを理解するのは難しい。自身が理解されたいと思っていないからだ。世間的に愛想が良い笑顔を振りまくコイツは結局誰も受け入れない。だからこそ、むきになって自分のものにしたいと考える野郎共が増えるのだろう。「ボス、」が俺を見る。 「そろそろリイコさんのところへ戻られたらどうですか。」 収拾がつかなくなってますよ。 の視線の先には、カス共がリイコを取り合って騒いでいた。跳ね馬にカス鮫、それからがこちらを見た事で嬉々とした態度でベルが参戦する。沢田の守護者までいるのには流石に呆れた。まるで街灯に集まる蛾のようだ。何でも受け入れるリイコは、闇で働く多くの人間を魅了する。リイコが微笑めば大抵の奴は虜になる。邪気のないリイコは暗闇を取り払う太陽だ。求めれば顔を赤くしながらも応えるリイコを抱いて寝たのは1度や2度ではない。豊満な胸、艶やかな表情、甘ったるく呼ぶ声。 「私は邪魔にならないところで待機してますので。」 ―――全てが目の前の女とは正反対だ。 服の上からでもわかる貧相な体、上っ面だけの笑顔、空っぽで無機質な声。月さえも飲み込むこの女の闇は暗く深い。しかし愛さないわけではない。毒しか含まないこの女は自分の《身内》には胸焼けするほどの愛情を注ぐ。惜しみない愛、というのを俺は初めて見た。そして絶望を初めて味わった。 離れていくの腕を掴む。(《身内》と《そうでないモノ》の違いはなんだ。)強く引いて壁に押し付けると少し驚いた目で俺を見た。(愚鈍にはあって俺にはないものは何だ。)片手で顎を掴む。 「、 キスさせろ。」 ***** 「ボスさぁ、と何してたの。」 帰りの車でベルが唸るように囁いた。 横に座るカスが怪訝そうにベルを見る。リイコもカスの隣で不思議そうにベルを見ていた。殺気にすら感じられるベルの雰囲気にだけは我関せずの態度を示していた。L字に並んだ座席の1番端でベスターの頭を膝に乗せ、俺達には向けない愛を注いでいる。時々ベルの視線が嬉しそうに笑うに向けられてもは見向きもしない。気付いてすらいないみたいだった。は興味が無いことは全て遮断する。自分が話題になっている事すら知らないのだろう。 「テメェに関係ねぇだろ。」 持っていたウィスキーをカスに投げつける。 いつものでけぇ声が車に響くが、は反応しなかった。次いで上がるリイコの声にも、押し黙ったベルの威圧的な視線にも。そう、アレは俺だけ知っていれば良い。俺が口を吸った事もは明日には忘れるだろう。全てなかった事にして俺の前でヘラヘラ笑う姿がすぐに思い浮かんだ。 指での跡を辿る。 感触すら忘れかけているソコは未だに熱いままだった。 |
嗤 う ラ イ オ ン
(愛なんて囁く気はねぇよ。ただ噛み付くだけだ)