アイツにとってそれはただの気まぐれだったのかもしれないし、はたまた俺が本当に弱りきった小動物にでも見えたのかもしれない。どっちであったとしても、あの時アイツは優しかった。ずぶ濡れの俺の頭をふわふわのタオルで優しく拭い、凍えた手をほっそりとした手で暖め、飲めないほど熱いホットミルクを作ってくれたのだ。 「おやすみなさい、ベルさん。良い夢が見れるといいですね。」 そう言って笑いかけたアイツの夢を未だに見る。 甘ったるいホットミルクの匂い。調子の外れた子守唄。アイツの腕のぬくもり。 が俺に優しかったのはあれ1度きりだった。 アイツがヴァリアーに入隊したのは今からずっと前の事。リイコが来るずっと前で、俺が入隊してしばらく経ってからだった。ボスに連れられてやってきたは俺たちを見てにっこり笑うと「よろしくお願いします」と頭を下げた気がする。赤味がかった黒髪に平凡そうな顔立ち。16歳くらいだっただろうか。正直アジアン女性の年齢は見当も付かない。リイコはあの顔でもう20歳を過ぎているのだ。もしかしたらもあの頃20はとうに過ぎていたのかも知れない。ただ当時10歳だった俺よりもずっと屈託ない笑い方をしていたから俺は16歳くらいだと思っていた。 「人間が死のうが生きようが私の知った事ではないです。丁度増え過ぎている事だし、少しくらい減らしてもバチは当たらないでしょう。でも動物がとばっちりを受けるのだけは見過ごせません。なぜなら私には動物を守る義務があるので。」 はまるで自分は動物の代表としてここへ来た、みたいな顔をよくした。 ターゲットが犬を飼っていれば、身元調査よりも先にその犬が路頭に迷わない為の新しい飼い主を探しに行くし、流れ弾が野良猫に当たりそうになると戦闘そっちのけで助けに行く。季節関係なく着られる毛皮のコートに眉を寄せ、適当につけていたテレビで動物虐待のニュースを見ればこっちが驚くくらい憤慨した。アイツはいつだって動物の味方だ。なのに肉は食べる。卵も食べる。矛盾だらけ。俺がソレを指摘するとは、さも俺が当たり前の事を訊いて来たかのように呆れた顔で片眉を器用に上げた。 「生きる為の犠牲は仕方ありません。非常に残念ですけど。」 「なにそれ。矛盾じゃん。」 「・・・いいですか、ベルさん。お腹を空かせたライオンがヌーを襲うのは当たり前の事です。お腹を空かせた私がこのニワトリを食べるのと全く同じでね。それが食物連鎖ってゆーやつです。」 「・・・・・・・・。」 「私はね、それ以外で動物を殺すのが許せないんですよ。ただ自分の体を着飾るために毛皮を剥いだり、何のストレスだか知らないけれど鬱憤晴らすために蹴り殺したりする人間を見ると同じようにしてやりたくなるんです。何処の世界に面白半分でヌーを狩るライオンがいますか?彼らは自分が生きる分しか狩りません。人間だけですよ、こんな恥じるべき行為をするのは。」 その話を聞いていたスクアーロが「でも、お前が守るべき動物食べていいのかぁ」と冷やかすと彼女はやれやれ、と言った様子で「彼らの分も私が彼らの家族を守るからいいんです」と、尤もらしい顔をする。結局の理論は俺にもスクアーロにも理解できなかったが、の頭が常に動物たちでいっぱいである事はわかった。そして人間にまったく興味がないことも。 だからあの時は心底驚いたのだ。 10歳の冬、珍しく調子が悪くて任務が長引いたあの日、濡れ鼠になって帰ってきた俺をは当たり前のように暖炉の前に座らせて、当たり前のようにタオルで俺を包み込んだ。それまで全く俺に興味を示さなかったのに。礼儀正しく、年下の俺にまで敬語を使うは、誰に対しても優しいけれどそれ以上はないのだ。たとえば転んだ人がいたとして助けるけど心配はしない。そんな感じ。なのにこの時のは全く別人のように俺の世話を焼いた。着替え終わった俺の額に手を当てて「ちょっと熱がありますよ」と呟き、「ホットミルクを淹れましょうね」と笑う。いつもの浮世絵離れした笑みじゃなくて、親が子を見る様な暖かい笑み。そんなの初めて見た。何故。どうして。 「だって今のベルさん、まるで弱った子ネズミみたいなんですもの。暖かい部屋で暖かい飲み物飲まないと死んでしまいそうじゃないですか。私は子ネズミには優しいんです。何せ、私は動物の味方ですからね。―――眠いんですか?寝ていいですよ。」 ついでに子守唄も唄ってあげましょうか。 冗談めかして笑うに手を伸ばすと、愛おしそうな目で「仕方がないなぁ」と俺を抱き上げてくれた。遅れて聞こえた調子外れの子守唄。優しく背中を叩く腕。今思えば、誰かに甘えたのはこれが初めてだった。髪の隙間から見える暖炉は赤く赤く燃え、赤味がかったの髪をよりいっそう赤く輝かせる。 「おやすみなさい、ベルさん。良い夢が見れるといいですね。」 そう言っては、今まで見たこともないほど優しい顔で俺の前髪を掻き揚げ、ほっそりとしたその手でそっと俺の瞼を覆ったのだ。暗くなった視界。心地いいまどろみ。うとうとしだす俺にがくすりと小さく笑う。 あれから10年の時間が過ぎて俺は20歳になった。 特に変わった事ってのもない。相変わらずやりたい放題やっている。ただ低かった背はをとうの昔に通り越したし、仕事も重要なのを任されるようになった。キスやセックスの気持ちよさも知った。異性にとって俺は結構魅力的に映る事も実証済み。おかげで夜の相手に困ったことはない。あの頃なかったもの、知らなかったものを俺は今、沢山持っている。そう、なんて地味な女がいなくても俺の人生に支障はないのだ。アイツより綺麗なやつは沢山いるし、無邪気で可愛いリイコもいる。 「あら、何処に行くの?」 ルッスーリアの問いには浮世離れした笑顔を浮かべて「動物愛護活動です。」と決まり文句を言った。その“動物”を指すのがレヴィである事を俺はもう知っている。にとってレヴィは動物と同じくらい大切らしい。あんな愚鈍で煩わしくて顔も悪いアレの何処がいいのかさっぱりわからないが、はいつもアイツを「真面目で一生懸命なブルドック」と称す。俺を子ネズミと例えた時のように、その顔には優しさがあった。・・・・そんなの許せない。 「お前、リイコの誘い断るなんて頭おかしいんじゃねーの?」 はあれから1度も俺に振り向いてはくれなかった。 溢れるほどの愛しさを含んだ目も優しさを紡いだ口も、あの時俺に与えてくれた全てのものは、あれっきり俺に注がれることはなかった。なのにたった1人の愚鈍と沢山の動物達だけが今も変わらずの惜しみない愛を、当たり前のように注がれている。俺がもらえないぬくもりを厚かましくも貪っている。 「ま、お前の頭のおかしさは今に始まった事じゃねーか。もう行けよ。お前の顔なんか見たくねーし。リイコ、俺ともっと楽しいし事よーぜ!」 これ見よがしにリイコにキスをすると、スクアーロとボスとマーモンの殺気が膨れ上がった。そんなのどうでもいい。はこれを見てどう思っただろう。ソレだけが知りたかった。舌でリイコの咥内を愛撫する。なぁ、お前の優しさは俺のものだろ?あの甘ったるいホットミルクも調子外れの子守唄も全部俺のものだろ?レヴィなんかにあげるなよ。全部俺のものなのに。他のやつにあげるな。俺の事だけ気にしろよ。リイコにキスしてるのを怒ってよ。俺が他の女抱くのに嫉妬してよ。俺だけ見て。俺だけ愛して! 「それではさようなら、人間のルッスーリアさん。」 盗み見た先にはアイツの後姿。 俺を1回も見ないで、は部屋を出て行った。 の目に俺は映らない。 最近あの夢を見る回数が多くなった。 夢の中のはあの時の笑顔を浮かべて俺に笑いかけてくれる。抱きしめ、前髪を掻き揚げてくれる。子供の俺はいつの間にか大人の俺になっていて、俺よりも背の低いを今度は俺が抱きしめてるのだ。細い腰。薄い肩。現実には1度も触れた事がないのに。ちょっと笑える。そっと触れるだけのキスを落とすと夢の中のは俺の事をじっと見つめて、しずかに目を閉じた。 夢はいつもそこで終わる。 |
子 ネ ズ ミ
(その夢は確かに俺を幸せに満たしてくれるけど、眠りから覚めるとどうしようもない寒に襲われるよ)
(ねぇ、。また言って。「おやすみなさい、ベルさん」って。俺の事愛してよ)