玄関に続く廊下から行ったり来たりする足音が聞こえる。
スタスタスタ・・・・
・・・・・・スタスタスタ
「・・・・・なぁ、高杉君。」
「何だよ。」
どさりとの隣に座り彼女に目を向けた。
居間の座布団に座って家計簿を付けていたは困ったような瞳で笑った。
「お祭りが楽しみなのはわかるけど、もー少し落ち着きぃ。」
お祭り好きの黒猫
「ばっ!違ぇよ!!」
耳まで真っ赤にして高杉が怒鳴った。
図星を指されたのが丸わかりだが、本人は気付いていない。
「へー、そう。」
「違ぇっつってんだろ!!」
「何も言ってないやろー?」
「その目やめろ!!」
「生まれたときからこんな目ですぅー。」
「嘘つけやァァァ!!!!死んだ魚の目ェしやがって!」
余談ではあるが、最近高杉は不可解な言動が多い。
いや、例え話が上手くなったと言えばいいのだろうか。
それともボキャブラリーが増えたと言えばいいものか。
どちらも違う気がする。
とにかく三味線片手に歌を詠む彼の姿は今のところ皆無だ。
なんか、もう、コメディタッチの例えが日に日に増えていっている。
きっとに感化されていっているのだろう。
「あー、わかった、わかった。落ち着きぃよ。」
「俺は落ち着いてるっつってんだろーが!!」
「じゃぁ、落ち着いてる高杉君、心を静めてや。」
「同義語じゃねぇかァァァ!!」
思わず高杉はちゃぶ台を引っ繰り返したくなった。
夜気の匂いが漂ってきた頃、縁側でキセルを吹かしていた高杉の前に
がニコリと笑って出てきた。
紺色の絞りの着物に赤銅の髪が流れる。
「ほな、いこか。」
くるりとビーズの飾りの付いた巾着袋をまわした彼女に高杉は少し顔を赤くした。
「どれからまわろーねぇ。」
「知るか。」
賑わう人並みをすり抜けながらが笑うと高杉は逆に眉を寄せる。
空は真っ暗。地には夜店が道を作っている。行きかう人は皆楽しそうだ。
「高杉君、金魚掬いあるで。」
「・・・・だからなんだよ。」
「よらへんの?」
「寄るわけねーだろ、バカ。」
「せやけど高杉君、金魚好きやん。」
「はぁ?何の根拠があって・・・」
「足が金魚掬いの方へ行ってるで。」
「・・・・・・・・。」
「ええやん、やろー。あ、おっちゃん、一回!」
高杉が答える前にがビニールプールの隣に座っている五十代の男に笑いかける。
「な、やるとは言ってねェだろ!!」
「やらへんの?」
「やるか!」
「じゃ、私がやるわ。」
「・・・・・しかたねーな、やってやるよ。」
「(ホンマはやりたかったんやん)」
「なんか言ったか。」
眉を寄せて凄んだ顔。普通の人なら顔を真っ青にして逃げるところだ。
くすりとが笑う。花が咲いたような笑顔。
「いーえ、別に。」
「ホンマ、高杉君上手やなぁ。」
「はっ、こんなのたいしたこたァねェよ。」
感心した声のに高杉は鼻を鳴らしてニヤリと笑う。
の手には金魚の入った袋が二つ。一袋に四匹入っていた。
「あら、先生じゃない。」
不意に声を掛けられて振り向くと年配の女性が歓喜を含んだ顔で笑っていた。
口元の皺が深くなる。
「先生がお祭りに来てるなんて珍しい。」
「そんな、ただちょっと気ィ向いただけですよ。」
「そう言って十年間姿見せてないじゃないの。」
やだわぁと口に手を添えて笑う女性にも微笑む。
しかし、其の笑みはいつものような輝きがない。
高杉はその女性ととの関係なんて知らなかったが、
触れてはいけない内容に女性が触れたことだけは判った。
「おい。」
ぐいっとの腕を掴んだ。
どうやら其の女性は高杉のことは見えていなかったらしく慌てて、
「あらやだ、お邪魔しちゃったみたいね。」
と今までしていた話を止めた。
が曖昧に微笑む。高杉は不機嫌そうだ。
「それにしても先生に男の影なんて今日は珍しいことばかりだわ。」
「そんな関係とちゃいますから。」
なだめるように言うの言葉に何故かむかっ腹がたつ。
「へぇ、ちょっと顔を見せておくれよ。暗くて顔が見えないんだ。」
近づく女性に高杉は嫌悪の表情をあらわにし(どうせ暗くて見えないだろう)一歩後退った。
の手首は掴んだまま。強く引いて人ゴミに紛れる。
正直もあの場にいたくなかったのだろう。思いのほか素直には人込みに紛れた。
高杉が一度だけ女性へ振り向いた。
電球の明りではっきりと高杉の顔が浮かび上がる。
彼女はあっという顔をする。其の瞬間自分はお尋ね者だった事を思い出し慌てて前を向いた。
「 !!」
女性が叫んだ言葉は人込みに遮られ、高杉たちの耳には入らなかった。
「おおきにな。」
裏道を通って帰る途中、がそう呟いた。そ知らぬふりをして高杉が一歩前を行く。
「別に、お前のためにしたわけじゃねェよ。」
ババアがうざかっただけだ。
ふん、と鼻を鳴らすが照れているらしく耳が少し 赤い。
が微笑む。安心した顔だ。
たまたま振り向いた高杉が真っ向から其の笑顔を見てしまい、言葉を詰まらせた。
泳ぐ目。漂う視線。
どうしたん?とに聞かれていよいよ困ってしまった彼は 別に、と切って、
「お前教師なのか?」
先ほどの疑問を投げかけた。
は曖昧に微笑んで ちゃうよ、と一言。
じゃぁなんでアイツは先生って呼んだんだ、と聞けば困った顔をした。
聞いてはいけない事を聞いたのかと少し腹が立ち、
自分もあの女性と同じかと思うと其れもまた腹立だしかった。
なんだ、聞いちゃいけねェ事だったか、と意地張って嫌な笑みを浮かべると
ちゃうねん、とは言う。ちゃうんやけど、その、な、
「医者・・・やったん。」
これには高杉も驚いてあ、とか え、とか短い言葉を吐いてを不躾に見る。
そういえば初めて会ったとき手当てをしたのはだった。
コレは聞いていいのかと思いながら 何で辞めたんだ、とおずおず聞いてみると
患者を死なせた、と泣きそうな微笑でが言う。
目を伏せて 辞めてから何年、と聞いちゃいけないんだろうけど聞いた。
「・・・・・・・・・・十年。」
くぐもった声でが答える。祭囃子は遠く終わりを告げていく。
十年と言う言葉に高杉は頭の片隅で引っかかりを覚えた。
だが、帰ろうかといつもの笑顔で言うの声にそんな疑問は忘れ去っていた。