着流した藍色の着物は夕日に更に黒く、黒い髪から覗く肌の色が逆に痛々しいまでの白だった。 夕日が最後の光を放つ。は眩しくて眉を寄せるとその美しい男は喉でニ、三度笑った。何がおかしいのか判らずにいると更に口を歪める。吊りあがった唇が何処か人のソレとは懸け離れていてあやかしか何かのように見えた。しかしながら、の目の前に立つその人にはちゃんとした足があり、手があり、顔がある。無いのは人間味だ。あまりにも綺麗な顔立ちとそれに不釣合いな怪しげな瞳。二つの要素とあまりにも白いすべらかな肌は現世離れして見える。そして森の中だというのに汚れ一つ無い姿にも違和感を覚えた。 「ダメじゃない。こんなところまで来ては。」 高い声だった。でも低くも聞こえる。癖のある、不思議な声音だ。 思わず薬草の入った鞄を掴む手を強める。 「怯えなくてもいいのよ。別に何もしないから、」 「ちゃん。」 驚いて指先を震わすとその人は吊り上げられた唇を更に吊り上げた。 さもおかしそうに喉を鳴らせて爬虫類を思わす瞳を細める。 「驚く事でもないでしょう?貴女、結構有名なのよ。」 あの暁で育てられているって、ねぇ。 嘲りを含んだ言い方に些かは唇を一文字に結んだ。この人は。 多分自分を傷つける類の人だ。体ではなく心を。 「あら、そんなに唇を噛んでまさか怒ったの?」 嫌な汗が流れる。苛立ちに。 今にでもこの人を睨んで暴言を吐きたくなった。その余裕そうな、まるで自分という存在さえ嘲り笑っているような瞳に感じた事も無い苛立ちがの体を支配する。しかし、此処で自分が己の感情を剥き出しにしたとして目の前の人の思う壺だ。これは明らかな挑発。関わってはいけない。 「私、迷ってしまったんです。もし宜しければこの森から出る道を教えていただけませんか?」 ふと男から嘲りの笑みが消える。変わりに見定めるような目で顎をあげて、高慢に口の端を上げた。 「中々に賢いじゃない。いい切り返しね。」 ご褒美に連れてってあげるわ。 にいと笑って白い手をへと向ける。掴めと言う事だろう。は内心唇を噛む。てっきり断られると思っていた。いや、断られる事を前提にした問いかけだった。いくらが忍術に才能が無いとしても暁のメンバーのチャクラを感じ取る事は出来る。其れを辿ればこんな森はいつだって抜け出せるのだ。相手もソレをわかっている。わかっているからこそ、わざとと反対の事をするのだ。 「・・・よろしく、お願いします。」 そしてはソレを拒めない。この人がひどく恐ろしい人だからだ。一見優しそうな声音で話すがその目はいつでも自分の首を狙っている。暴言を吐いていたら間違いなく今、自分に首はなくなっていただろう。“生意気ね”と言って。簡単に自分を殺すだろう。 「礼儀正しいのね。あのサソリの弟子とは思えないわ。」 否。そんな理由が無くても彼は簡単にを殺せる。其れをしないのは彼にとってコレは一つのゲームだからだ。どのくらい耐えられるか。どのくらい自分を満足させられるか。はぎりぎりの線で生かされているに過ぎない。 「サソリさんは、いつでも礼儀正しい方です。口調は荒いですけど・・・」 (アナタのように下らない言葉遊びなどしない) 彼は満足気に笑う。対するは冷汗が流れるのを感じていた。言葉の裏に潜む意味に彼はとっくに気付いている。 「ふふっ、そうかもしれないわね。」 そして間違いなく楽しんでいる。 元々彼は頭脳派だ。何より賢い者を好む。逆に自来也のような本能で動く者は軽蔑していた。その点、は利発で聡明だ。機転も利いて自分の仕掛ける挑発をことごとく潜り抜ける。 面白いと思った。そして欲しいとも思った。決して気が強いわけではない。あくまで控え目な、一歩下がった言い方をするのに真髄は刀の切っ先のような鋭利さを秘めている。こんなに楽しい会話は久しぶりだ。喉で笑うと己と繋がっているの指先が強張った。 「ねぇ、ちゃん。」 含みのある声。来る、と心が叫んだ。傷を抉るような言葉の刃が自分を狙っている。怖い。が、負けたくはない。の宝玉の瞳が彼を見つめた。 「いつまであんな所居るのかしら?」 金色の瞳が見つめ返す。 「あの人たちはいつまでアナタを傍に置いておくつもりなのかしら?」 残虐な色を秘めたソレには全身の毛穴から冷や汗が出るのを感じた。同時にドクリと心臓が大きく波打つ。 「それは、・・・・・」 ぐっと喉の奥が詰まった。答えることなんて出来ない。彼が笑う。思わず目を下に逸らした。知りたいのは自分の方だ、とは心中で叫ぶ。忍術は出来ない。大人でもない、知恵もない。そんな自分を彼等が必要としてくれるとは思えなかった。毒薬や解毒剤を作ることは出来るがソレだってサソリの方が上だ。自分がやらなくてもたいして変わりない。自分が居なくても。いや、自分はむしろ邪魔なのでは。 「どうしたの?顔が真っ青。」 心配そうな声音にくらべ顔は笑ったままだ。その笑いをは知っている。――嘲笑だ。 立ち止まった足。視線はその足だけを見る。と、繋いだ手が離れた。 「っ」 ひゅっと息を呑んで顔を上げる。弱った小鳥の声のような。彼の冷たい手がの頬を包み込んだのだ。 「なんて顔をしているのかしら。可愛い顔が台無しよ。」 怯えの色が目を覆う。彼の笑う目は残虐さを増して唇が形良く吊りあがった。限界だった。恐怖に耐える余裕はもうない。本能的にクナイを振り上げる。彼はひらりと舞うようにソレを交わし、高い木の幹に下りた。のクナイを恐れたわけではない。 「ソレは俺のだ、大蛇丸。」 低い唸るような声がその場を制した。大蛇丸がさっきまでいた場所、つまりの向いにある木にはクナイが深々と刺さっている。は投げていない。まだ硬く持ったままだ。 「手をだすな。」 すっとの後ろの闇から出てきたのは殺気を含んだサソリ。鬱蒼と茂る森の闇の中に色素の薄い髪と白い肌が浮かぶ。途端に大蛇丸は詰まらなそうな顔をした。 「随分いいところで邪魔してくれるじゃない。もう少しで手に入るところだったのに。」 「当然だ。コイツは俺のだからな。テメェにくれてやるところなんて一欠けらもねェよ。」 ふふん、と鼻を鳴らして大蛇丸はおどけたように肩を竦ませる。その仕草さえ美しく、同時に怖い。 「残念。」 「さっさと消えろ。」 対するサソリは恐ろしいほどの無表情だ。人形染みたバランスの良い指先がゆっくりと動いた。闇の中で煌くのは銀色の糸。大蛇丸が目を細める。 「言われなくてもアンタの顔なんて見たくないわ。そうだ、ちゃん、」 切れ長の目をに移すと彼は綺麗な微笑を向けた。とても楽しそうな顔だ。 「暁にいるのが嫌になったら私のところへ来なさい。いつでも歓迎するわ。」 その言葉にの体が小さく痙攣する。深い緑色の瞳は大蛇丸を見ている。ちっと後ろで舌打ちする音がした。そして突然サソリに腕を掴まれ、彼の胸部に後頭部を押し付けられた。サソリはの腕を掴んでいない手で素早く傀儡を動かしたが大蛇丸はソレを一回嘲笑した後、闇の中へと消えていった。くくくと笑う声だけが森の中を木霊する。 「クソ野郎が・・・・。」 サソリは喉で悪態を付いて、眉間に皺を寄せたままを見る。険しいままの顔だ。呆然と見上げる彼女に言い知れない苛立ちが募った。 お前は俺が拾ったんだ。俺のものだ。勝手に別のところには行くな。心の内で何度もそう呟いて腕を掴む手を少し強める。この男にしては珍しい。何かに執着するなど。は動かない。更に眉を寄せて彼女の顔を後ろから覗きこむ。そしてあることに気が付いた。 「?どうした?」 の瞳孔は開いたままだった。呼吸が浅い。体が震えているのを服越しに感じた。嫌な予感がサソリの頭を過ぎる。前にも一度こんな状態になる事があった。拾われたばっかりの時で、確かサソリ以外の人間を見たときだ。 「大丈夫だ、。」 さっきとは違う優しい声。掴んでいた腕は放し、代わりにクナイを持つ手を包み込む。大げさなまでに震えた手はクナイを放さない。放せないのだ。さっきまでの恐怖で手が固まって放し方を忘れてしまったらしい。あのクソ野郎・・・。心の中でさっきまでいた大蛇丸に悪態を付く。 「もう怖くねェから、大丈夫だから。な、。」 はっはっ、とは苦しそうに息を吸う。瞳孔の開いていた瞳は今は硬く閉じられている。サソリは彼女を宥める為、髪を梳いたり頬を撫でる。しばらくそうしていると緊張が解けたのか糸が切れた人形のようにが彼の腕の中で崩れ落ちた。力の抜けた緩んだ手からクナイが落ちて土に突き刺さる。はピクリとも動かない。気を失っている。が、呼吸は正常で痙攣もない。とりあえずは落ち着いたようだ。はぁ、と静かに溜め息をつく。 「・・・・・。」 幾度となく女は抱いてきた。ソレは色々で媚びるようなのもいれば賢いのもいた。それでも本気になる事はなくて。いつだって飽きて捨てていた。愛なんていらないし信じてもいない。それは今も同じだ。だが、と会って過ごしてきて飽きたと思う事は不思議となかった。ソレが何故だかわからない。それでも手放したいとは思わなかった。の中に“女”を見出したわけではない。そんな色気は生憎は持っていなかったしサソリ自身望んでいなかった。ただ、最初に会ったあの日。見上げたその目があまりにも良い目をしていた為興味を持った。自分や他の人間には真似できない、強くて鋭くて穏やかな目。純粋に惹かれた。この子供を自分の手で育てたいと、そしてどんな子供になるのか見てみたいと思ったのだ。ふとサソリが自嘲気味な笑みを浮かべての体を抱き上げる。 「・・・・こんなガキに翻弄されるとはな。」 子供特有の体温を感じた。は珍しい常盤緑の瞳の光を日に日に濃くしていく。自分は日に日に彼女に依存していく。そのうち逃げないように、誰にも見せないように縄で括って扉に鍵をかける日が来るかもしれない。そんな日が来なければいいと思う。 しかし、そう思いながら確かに彼はソレを望んでいた。 |
迷 子