いっその事忘れられたらいいのにと思うことがある。
母の優しい笑顔とか父の頭を撫でてくれるその大きな手だとか。
全部全部 消えてしまえばいい。








静かに降る雨の音にはふと目が覚めた。
見慣れたサソリの部屋。古ぼけた机と傀儡が吊り下がっている以外何もない部屋。夜明けにもなっていたない為より一層無機質で寂れた部屋に見える。
すぐ隣では規則正しいサソリの寝息が聞こえた。当たり前だがが来るまでこの部屋はサソリ一人が使っていた。と言っても傀儡置き場にしていただけなのだが。ぎっしりと詰まった傀儡とその隅に申し訳程度に置かれた机とベッド。当然もう一つベッドを増やすスペースなどない。 幸いベッドは鬼鮫を基準として作られている為かなり大きいし、も年の割りに小さいので二人で使うことになったのだ。


十一月の末のせいかひどく寒い。毛布を引っぱり包まる。小さく息を吐けばほんのり白く霞んだ。


「・・・・・・・・・。」


しとしと。
音にもならない音を立てて秋雨が降る。辺りは暗い。雨の日は憂鬱だ。
傀儡の調子が悪いからサソリの機嫌は悪くなるし、なんとなく気分が沈む。
それにの両親が追い忍に殺されたのも雨の日だった。


(いっそ忘れられればいいのに)


楽しかった思い出も幸せだった記憶も。全部全部。
の親は毎日死ぬ。夢を見るたびに一回死ぬのだ。今日も一回死んだ。
身じろいで寝返りを打つ。端正なサソリの顔が目に入った。色素の薄い髪に白い肌。人形の様なその人は実際年を取らない。自分の体さえ傀儡にしてしまったらしい。


生きるんだよ。
母が最期に言った言葉だ。血を吐いても必死に。最早呪いだ。自分を縛る呪術。
楽しい記憶のあと、最期はいつも来て結局自分は救えずに暗闇を彷徨っている。思い出すだけで体が震えた。
何回も何回も目の前で親が死んで何回も何回も自分は目覚める。最初はただ怖かった。
そのうちどっちが夢かすらわからなくなった。
サソリの隣で寝ている夢を鬱蒼と茂る森で見ているのか、鬱蒼と茂る森の夢をサソリの隣でみているのか。
気が狂いそうだ。もう狂っているのかもしれない。堂々巡り。




「・・・・・・どうした。」


はっと我に返ると今まで目を閉じていたサソリがを見つめていた。寝起きのためグレーの瞳はぼんやり霞んでいる。は小さく首を振った。なんでもない。そう小さく呟くが尋常ではないほど小刻みに震えていては説得力がない。


「お前本当に大丈夫か?」


サソリが眉を顰めてもう一度聞く。の答えはさっきと同じ。こくりと首を縦に振るだけだ。サソリの顔が歪む。


「・・・・何が怖いんだ。」


歯をカチカチを鳴らせて大丈夫なわけがない。とサソリは眉間の皺を一層深めた。何が怖いのか。それは自身わからない。
親が死んだ事なのか暗闇を彷徨い続ける事なのか繰り返される夢なのか。それとも夢を現実の境がつかなくなってきている自分になのか。まるで胡蝶の夢だ。


はぁ、と。サソリが溜め息を吐く。は泣きたくなった。質問には答えられない。どうしていいかわからない。どうしたいのかもわからない。
ただ目の前の人を困らせなくなかった。同時に失望されたくもなかった。
視線がだんだんと下がっていく。雨の日は嫌な事ばかりだ。
その様子をしばらく見ていたサソリの手が緩慢に動く。そしてそのままの頭を自分の方へ引き寄せた。最終的にの頭の上にサソリの顎がのる形に収まる。


「寝てろ。」


低い掠れた声。
何か言おうとして開いたの口は何も言う事無くまた閉じられた。とくとくと心臓の音が耳の傍でしている。サソリの体は思いのほか暖かい。


「・・・サソリさん、寝ぼけてますね。」


小さく言うと彼は喉で笑った。


「そうかもな。」


眠気が波のように押し寄せてくる。


(いっそ忘れられればいいのに)


母の笑った顔も。優しい父の掌も。そして兄がいると言う事実も。
全部消えてなくなってしまえばいい。
そしたらあの夢は見なくて済む。あの呪いからも開放されるだろう。


心臓の音がやけに遠い。泥沼に沈んでいく。
ぐにゃぐにゃ と走馬灯のように現実が曲がり、そうして・・・




またあの暗闇を彷徨い続けるのだろう。




忘 れ て し ま え