「強くなる。」

すんと鼻を啜り、それでも真っ直ぐと前を向く。目は涙に腫れて鼻の頭は赤い。
けれど奥歯を噛み締めてそう言った。






惨めだった




「これはまた派手にやりましたねぇ・・・・・。」


呆れを含んだ鬼鮫の声にはうな垂れる。切れた唇からは今も鮮血が滴り、ソレを拭った手には擦り傷や切り傷、内出血の痕が残っていた。足や頬も同様でなんともひどい有様だ。


「そこにお座りなさい。今手当てしますから。」


鬼鮫が救急箱を持ってに言う。彼女は素直に従って手前にあるソファに座った。
の向かい側にはイタチがいて無表情に本を読んでいる。いくつか小言を言う鬼鮫はまるで母親だ。毒の含んだ言い方の中に心配の色が見える。最初はの入会を拒んでいた彼も段々親しくなっていくうちに愛着が湧いたようで今では彼女の教育係を担当している。
が暁で育てられる事になって一ヶ月が経つ。
相変わらずはサソリの部屋にいてサソリもを部屋に置いていた。毒薬や傀儡造りの才能は着実に頭角を現している。百年に一人の逸材。この間酔ったサソリが言っていた。他にも学問に興味があるようで字の読み書きが出来るようになると本を読んで疑問に思ったことをとことん追求した。その姿勢はイタチに似るところがあり、彼女の勉強面はイタチが見ることになった。はまるで砂漠に水を放った時のように一つも残す事無くイタチの教えた事を吸収していく。そんな彼女にイタチもいつしか期待を持って接するようになっていった。


「まったくどうやったらこんな傷を作ってくるのやら・・・。」


はぁ、と長い溜め息。吐きたくなる気持ちもわかる。
賢く努力を惜しまないもやはり人の子。学問は天才でも忍術は凡人だった。いや凡人よりも酷い。体力作りは自慢の努力で何とかなったが忍術に関してはまるでダメだ。まず変化の術を通常の人が取得するのに一週間かかるところをは三週間目でやっと。しかも周りの大人が平凡な人間ではないので余計にダメさが目立つ。努力はしているのだ。だからこそ鬼鮫も怒るとか嫌味を言うとかはしない。ただ、あんなにも努力をしても常人以下と言うのに呆れというか逆に感心するというか。
ガーゼに消毒液を含ませて傷口を拭く。
隣の部屋ではデイダラの些か感情の入り混じった声と冷静なサソリの声が聞こえた。
忍術を教えるのは元々デイダラの仕事だった。しかし、子供相手に本気になりきれないデイダラに痺れをきらせたサソリが自らに教える事となったのだ。


手当てをしている間は一切喋らなかった。すんと鼻を啜る音と嗚咽を噛み殺すように喉を鳴らせる音だけが聞こえる。


サソリはデイダラと違って容赦がなかった。
それが女であろうと子供であろうと修行となれば一切の優しさを持たなかった。
本気でクナイを向け、殺す気で傀儡を使う。それはが立ち上がれなくなるまで続いた。



「辛いですか?」


顔を上げると一通り手当てを済ませた鬼鮫がじっとを見ている。


「苦しいですか?」


尚問う彼には正直に頷く。
怖かった。
自分の前に立つアノ人を見ると呼吸が止まる気がした。もう何十回も稽古をつけてもらったが未だに、慣れない。全身から発される殺気。全身が痙攣するような痛み。怖くて怖くて。もう嫌だ。


もう、止めたい。





「止めますか?」


鬼鮫の口を付いて出たソレには心中を見透かされた気がした。ひび割れた手をぎゅっと握り締める。


「もし迷っているのならお止めなさい。あの人の稽古はそんな生半可な気持ちでは受けられませんよ。」


びくりと手が震えた。同時に下唇を噛み締める。鬼鮫が言うのは厳しいが正しい。
サソリは一瞬の隙を狙って自分を攻撃する。隙があってはいけないのだ。
其れが命取りになる。



「ですが、。」


続けるにしても止めるにしてもコレだけは覚えておきなさい、との髪を撫でながら鬼鮫が言った。


「確かにあの人のやる事は度が過ぎていますし大人のやる事じゃありません。」


でも正しいですよ。
生ぬるい修行では肝心なときに役に立たなくなる。相手の殺気も場の空気も考慮しなければ修行なんてまるで役に立たないのだ。暁の中で生活するという事は同時に死と隣り合わせに生きるということだ。
いくらがメンバーでないとしても狙われない保障はないし、むしろ人質に捕らえられる可能性のほうがはるかに高い。最悪、殺される恐れもある。それをサソリは誰よりも良く知っていた。
しかもは一度死を見ている。死がどんなものかをその体に刻み込まれている。だから死に対する、殺意に対する恐怖は半端なものではない。
恐怖を取り除く事が不可能ならせめても慣らさなくては。それがサソリの考えなのだろう。


「だからと言って止める事は悪い事じゃありませんよ。誰だって出来ない事はありますし、時には諦めも必要です。なんだったら私が相手をしてもいい。デイダラに戻す事も出来るしイタチさんにお願いする事だって出来すんです。」
「結局はお前次第だ、。」


今まで読んでいた本を綴じでイタチが言う。


「・・・・・・私は、」


今まで黙っていたが鼻を啜りながらそう呟く。




「止めない。」


小さな、本当に小さな声だった。
しかし強い言葉でもあった。




「・・・辛いのだろう。正直に言って構わない。」


ゆっくりと立ち上がってイタチはの頭を撫でる。そして目線を合わせた。
隣の部屋の言い合いはいつの間にか静かになった。それには気付いていないようだが、イタチと鬼鮫は二人分の気配が扉の後ろにあるのに気付いている。だからこそ、こんな事を言ったのかもしれない。




「・・・本当は、怖いし痛いし止めたい。」



ぽつりとが呟いた。
あの人の殺気は金縛りにあったように動けなくなる。
いつもは優しいのに。この時ばかりはすごく怖い。
対峙するたびにいつも逃げ出したくなった。


「でも、ダメなの・・・。ここで止めたら私は、また、ダメになる。」


あの日。


「父さんが、母さんが死んだの。
追い忍に囲まれて、それでも私を逃がしてくれた・・・。」




足らなかったのは莫大な力とほんのちょっとの勇気だったと思う。




「母さんは私に早く逃げなさいって、けど、私見たんだ。」


父さん、ばらばらにされてた。
その場面を思い出したのかは両の手を口元に持っていき必死で乱れた呼吸を整えようとしている。


「一面真っ赤で、傷口から、な、内蔵とか、出てて、ア、アイツ等がぐちゃぐちゃに」
「・・・もういい。」
「ア、アイツ等笑ってた。父さんの踏み潰して、母さんの服引き千切って、私に言うの」
!」
「次はお前だ、って!!」


の目から涙が溢れた。恐怖のためか青褪めた顔をして。肩を震わせている。


「凄く、怖くて、私は死に物狂いで逃げて、でも、本当に怖かったのは、父さんが死んだことでも、母さんの悲鳴でも、アイツ等が言った事でもないの・・・。」



「・・・父さんと母さんのことなんて全然考えないで、ただ自分が助かりたい一心で逃げてた私自身なの・・・・。」


母さんが逃げなさいって言ったから逃げたんじゃなかった。逃げたのは、自分自身の意思だった。
あんなに自分を大切に育ててくれた二人を見捨てたのは、―――私だ。


「惨めだった・・・。」


ぽろりぽろりと幾つもの涙がの瞳から零れ落ちる。


「何にも出来なくて、何にもしなかった自分が、すごく卑しくて醜いと思った。」



自分が原因だったのに。自分さえ生まれなければ父さんも母さんも死なずに済んだのに。だからと言って自分に立ち向かえるだけの勇気があったとしても役になんて立たなかった事はわかってる。それでも後悔せずには、嫌悪せずにはいられなかった。





「強くなる。」


「・・・“なりたい”んじゃないの。“なる”の。」



願望だけじゃダメだという事を此処に来て学んだ。実力がなければ誰かを守ることも出来ない事も。




「もう、あんな思いはしたくない、から・・・。」


後から後から流れ落ちる涙にの目は熟れた実の様に赤い。
嗚咽を飲み込もうとするためにひっくひっく、と何かが引っかかった声がでる。



「だから、逃げたくない。ダメになりたくない。サソリさんは、とても怖いけど、」


「でも、・・・・・・・・頑張る。」


くしゃりと顔を歪めてぎゅっと目を瞑る。震える掌は硬く握り締めて。
ゆっくりとイタチがの頭を自分の胸に押し付けた。宥めるように何度も髪を梳く。それが嬉しくて、悲しくて、切なくてまた涙が零れた。


欲しかったのは莫大な力とほんのちょっとの勇気、
二人を守れる位の力と笑うアイツ等を睨み付けるだけの勇気だった。


今自分にある物は、沢山のことを教えてくれる人達とその人達を守りたいと思う気持ちだ。あの日逃げた自分が今度は立ち向かえるように。


ただその為の力が欲しかった。