「ランチアさんが、いい。」 そう言うとランチアは少し間を置いてから そうか、と腹に乗っかるをあやす様に抱き締めた。元々そんなに安定しているわけではないがは精神不安定になるとこうやってランチアに飛びついてくる。今回も「お帰り」という前に飛びついた彼女を難なく受け止めて、彼はその荒れた大きな手で不器用に髪を撫でた。 「ランチアさんのがいいよ。ずっといい。」 「何がいいんだ。」 「ランチアさんがいい。」 「あの人よりもずっとずっと、いい。」 それを訊いてランチアは内心驚いた。しかし表には出さず相槌を打って、優しく背中を撫でてやる。と、首に回った彼女の腕がいっそう強くなる。はM.Mと違って消極的な子だった。人と話すのが苦手で関わるのも嫌がる。(彼女が持つ特殊能力が原因だ)仕事はこなすがそれ以外はメンバーともあまり喋らないし、近づかない。ランチア以外は。彼は脱獄した時から彼女とよくペアを組まされていた。だから彼女はランチアだけにはよく懐いていて、彼もの世話だけは小まめにしている。他のメンバーとは一線引いた絆がそこには常にあった。 「今回、先輩には犬と組んでもらいます。」 そう言ったのは骸だ。悠然と微笑んでボロボロのソファに深々と座りながら。はランチア以外のメンバーとペアを組む事はないが、彼はいろんなメンバーと組まされている。彼が特殊なのではない。彼女が特殊なのだ。彼女は心身病を幾つか患っていた。神経系もあるし呼吸器系もある。その全てに対処できる知識と経験を持っているのはランチア以外誰もいない。 しかし発作と言っても全部が全部苦しいものではなく(だるさや手の痺れも発作の一つだ)過呼吸も袋さえあれば一人で対処できる。問題は彼女がランチア以外懐かない事だ。だからランチアが誰かと組んでいる時は彼女は留守番役(或いは極たまに単独)を任せられていた。今回もそうなのだろうと思っていると骸はにっこりと笑った。 「だからは僕と組んでくださいね。」 「上手くいなかったのか?」 「ランチアさんとならあんな失敗しなかった。ちゃんとできた。」 大丈夫ですよ。 そう言って優しく笑う彼が手を伸ばす。しなやかな指。綺麗な手が私の手を掴んだ時、私の胸のどこかにある“何か”が大きく膨らんでいくのがわかった。早くなる動悸を必死に隠してついでに顔も伏せればまた大丈夫だから、と言う。何が大丈夫なのかよくわからない。怖くなった。この人が怖い。痙攣を起こす私の手を見て彼は困ったように笑った。 思い出しては強く目を閉じる。失望したのだろうか。もう自分はいらないのだろうか。肝心な時に“あの力”は役に立たない。知りたいのに。わからない。涙は出なかった。代わりに胃より上の所に圧迫感を感じた。苦しい。今、彼女を包むのはすべらかな手とは正反対の無骨で大きな手。安心する手。なのに掴まれたあの手の感覚が染み付いてはなれない。 「ランチアさんが、いい。」 「他はいらない。」 「あの人なんか嫌いだ・・・・。」 うわ言のように彼女は繰り返す。嫌い嫌いと。顔をランチアのシャツに押し付けて。震える声で。ランチアはずっと耳を傾けている。彼女がどんな顔で骸の隣にいたのか安易に想像が付いてランチアは表情を緩めた。顔も上げられず小さく縮こまっていたに違いない。ぐすりと鼻を啜る音が聞こえる。 「ランチアさんが、いい。」 「そうか。」 「あの人なんか嫌いだ。」 「ああ。」 「あの人とはもう行きたくない。」 「行かなくて良い。」 「ホント?」 「嘘はつかん。」 が安堵の息を吐くのがわかった。思わず苦笑が漏れる。嫌いだ嫌いだと彼女は言った。彼といると失敗ばかりで落ち着かないと言う。バカだな、と思う。それは嫌いなんじゃなくて好きだからに決まっているのに。同時にひどく可愛いと思った。そして可哀相だとも思う。好きになれば緊張だってするし失敗もする。嫉妬したり弱くだってなる。時には相手を怖いと思う事だってあるだろう。それでいい。それでいいのに。 (だけど“それでいいんだ”と誰も言ってくれないから。何も知らない彼女はこんなにも苦しむんだ。) |
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