年この時期になると現れる人がいる。
黒い帽子に黒い袴。上の着物も黒で唯一黒以外の色味は灰色がかった茶色の長い髪と白い肌だけ。どんな顔をしているのかは遠目でしか見たことのない近藤にはわからない。ただこの時期になると河原にいて何をするわけでもなくぼんやりしていた。そんな浮世から離れたようなその人を近藤はいつも不思議に思っていたが、隣を歩く土方や沖田を捕まえてわざわざ言うほどの事でもないし第一そんな陰口にも似た事を言われるのは相手も嫌な気分になるだろうからこの事は誰にも言っていない。きっと土方たちも同じように感じているのだろう。普段そう言うのには目ざとい沖田ですら何も言って来ないのだから。


その日は八月の丁度中盤であった。お盆の最終日で隊員と灯篭を流しに行った帰りである。近藤は灯篭を流した河原で金魚を忘れてきた事に気付き、一人河原へ引き返した。灯篭流しも江戸の町人に掛かればてんやわんやの祭り行事だ。亡くなった人の霊もしんみりされるよりも楽しまれた方が気分が良いにちがいない。だから江戸でははいつでもお祭りが耐えないのだ。河原に近づくに連れて人は減っていき、着いた時にはあんなに騒がしかったのが嘘のように暗く静かな川音だけが聞こえていた。金魚を探すと案外早く見つかってとりあえずほっとする。置き去りにされて悲しんでいたかもしれない。ごめんなと声をかけるが、近藤の気持ちを一切気にしないで金魚はビニール袋の中を悠々と泳いでいる。随分肝の据わった金魚だと半ば感心して彼は元着た道を戻ろうとした。


しかし少し離れた所に件の人が佇んでいる。いつもより近いおかげでその人の顔が良く見えた。思っていた以上に若い。どんなに見積もっても二十歳前後だ。中性的な顔立ちは柔和で男とも取れるし女とも取れるが近藤は女性だろうと思った。綺麗な人である。足もある。実は人でないモノなのではないかと少し緊張していたのだ。ほっと安堵の息を吐いた後、近藤は急に親近感が沸き声を掛ける事にした。


「見事な灯篭でしたでしょう。」
「えぇ、今年は特に綺麗でした。」


その人は声をかけられたことに驚いた雰囲気だったがすぐに柔らかく微笑んだ。愛嬌のある笑顔に近藤もにっこりと笑った。そうでしょうそうでしょうと自分が褒められたかのように嬉しがって世間話をする彼にその人はやはり穏やかに相槌を打つ。相手が聞き上手の所為か気づいた時にはかなりの時間が過ぎていて話ばかりをしていた自分を恥ずかしく思った。苦笑を滲ませて謝るとその人は笑顔で首を振る。
色々な話が聞けてとても楽しかったと。その表情は決して嘘やお世辞を言っているようには見えない。何処かで鈴の音が鳴った。きょろきょろと辺りを見回す近藤にその人はとても申し訳なさそうにもう行かなければならない事を伝えた。行き先は知らない。相手も問われたくはないのだろうと思い近藤は持っていた金魚をずいっと目の前に突き出した。相手は驚いた顔をして目を瞬かせている。


「良ければ貰ってやって下さい。夜道は危険ですよ。コイツは肝が据わってるんでアナタを守ってくれるでしょう。」
「良いのですか?」
「えぇ、こんな時間まで引き止めてしまったせめてもの罪滅ぼしです。」


黒い暖かい目が嬉しげに細まる。それではありがたく頂いていきますと金魚の入った袋を大切そうにその手に絡め、彼女は頭を下げた。また来て下さい。そう言うと驚いたように顔を上げる。近藤は照れたように頭をかきながら ソレまでにはもっと上手く話が出来るように頑張りますからと言うとその人はとても柔らかく笑った。本当に柔らかく。花が咲くように。


「近藤様は本当にお優しい方ですね。山南様が仰るとおりでした。」


その後どうやって彼女と別れたのか近藤はさっぱり覚えていない。ただ自分の名とかつての同士を知っている事だけはわかり不思議な人だなぁと苦笑する。偶然通りかかった山崎に何気なくその話をすると彼は笑って彼女は案内人なのだと教えてくれた。毎年故人が迷わぬようにこの世界まで連れて来て送り返す役目を請け負う人なのだという。だからこの時期にしかいないのだとようやく謎が解けて近藤は笑った。


彼 岸 の 河 原