あの頃の俺はバカでアホでどうしようもないほど何でも信じるガキだった。 雨が降るのは神様が泣いているからだとか、 水の中には都があるとか、 母様が毎夜、家に招く知らない男は母様の弟君だとか。 沢山の嘘を真と疑わない当時の俺は一回死んだ方が良いくらいおめでたい奴だった。 だから。 なんであの日、村正様が鬼の眼狂と一緒にいてなんで四方堂様の住まいまでの案内を 頼んだのかなんてこれっぽっちも考えやしなかった。 何処で間違えた 「もう少しで四方堂さまのお住まいです。」 黒装束を着込んだ子供のはりきった声。 それに村正は苦笑した。 赤い目を持つもう一人の子供は一番後ろから黙って二人に付いて行く。 「ありがとう御座います、。おかげで助かりました。」 静かで優しい声。 と呼ばれた子供は顔を真っ赤にして勢い良く首を横に振った。 「そ、そんなお言葉勿体ないです! 俺は案内人として当然の事をしたまでですからっ!」 はやや大きめの黒い帽子を意味もなく被り直して足を進める。 身体が爆発するんじゃないかと思うほど心臓がドキドキする。 太四老の、しかも長である村正に褒めて貰えた。 口が緩むのを抑えきれない。 「それより村正さまが地下迷宮をお通りになられるなんて珍しいですね。 何かの任務ですか?」 誤魔化すように話を変えると少し村正の顔が曇った。 ぎょっとする。それから不安になった。 何か嫌な事を言ってしまったのだろうか。 血の気がいっきに引く。 あわあわとうろたえているに村正はにこりと笑って頭を撫でた。 「は優しい子ですね。大丈夫、なんでもありません。ちょっとした任務です。」 上目遣いに不安そうに自分を見つめていた少女が安心したように笑った。 つきりと胸が痛んだ。 今年で八つになったばかりのこの少女を今自分は騙そうとしている。 何が任務だ。逃亡の間違いだろう。 逃げるためにこの小さな優しい案内人を騙して案内させて、最低だ。 「・・・ごめんなさい。」 「え?」 不思議そうに瞬きをするに村正は悲しそうに笑った。 そして其のすべらかな両手で彼女の頬を包み込んだ。 「何回謝っても足りないと思います。でも、ごめんなさい。」 「きっとあなたの事だから自分を責めるでしょう。 でもあなたのせいではありませんから。私がさせたのです。 私が、あなたを利用したのです。」 言っている意味がよく判らない。 でも村正の瞳が泣きそうに歪んで顔が悲しそうだから 必死でわかろうとした。 「いいですね、私が悪いんです。 あなたのせいじゃない。 私を責めてくれてかまいません。」 胸が痛くなる。 なんでそんな悲しい顔をするの? なんでそんな事言うの? わからない、わからないよ。 村正さま、村正さま。 そんなこと言わないで。 そんな悲しい事。 「どうぞ私を憎んで下さい。」 其の声は酷く切なく悲しみに濡れていた。 結局彼が言った意味は翌朝になってわかった。 何も知らずに利用されたと四方堂様が口添えて下さった為、 俺は一切罰を受ける事はなかったが事件での代償は別な意味で償う事となった。 母方の親族から嫌われ、家を出ざる得ない状況になってしまった。 別に元から気に入られてはいなかったし、家事は好きだ。 幼いながらも正式な仕事もあり、多少の援助もしてもらえる。期限付きだが。 それに夜になると本家の召使が息を乱しながら暖かい料理を持ってきてくれた。 今は親族にばれるといけないからと断っているが、それでも時々持ってきてくれる。 肩身の狭い思いをしていたときに比べて一人暮らしは案外気楽な生活だったのかもしれない。 ただ、一つ。苦しかった事は吹雪様に避けられた事だ。 “避けられた”では御幣が生じる。軽蔑されたの方が合っているのかもしれない。 “避けられる”ほど吹雪様は俺を見ていないから。 あの氷を思わせる双眸で侮蔑の意を込めた色を宿して。 一瞥しただけだ。それだけだ。 そして彼が俺の前に出る事は俺が太四老付きになるまでなかった。 当然だと思った。 知らなかったとは言え、手を貸したのは事実。 そんな俺を許せないのは当然の事だ。 「でもなぁ・・・。」 廊下を歩きながら独り言がポロリと出た。はたから見れば結構な変人だ。 幸い周りには長い廊下があるだけで誰もいない。 まぁ、この廊下を通る人も限られているのだけれど。 そう、この――――――――太四老の方々の集う部屋への道は・・・・ 溜め息が出る。 困ったとき、決まり悪いとき、帽子を被り直すのは俺の癖かもしれない。 あの時。 あの時、俺はどうすればよかったのだろう。 村正様の頼みを断っていたらこんな事にはならなかったのか? それとも俺がもっと賢ければ? 鬼の眼狂がいる事に疑問を持っていれば? この世界は、少なくとも俺のいるこの世界は何か変わっていたのかだろうか。 目の前には立派な襖。 中には四つの気配。 雨が降るのは空気中の水分が露点を過ぎるからとか、 水の中に都なんてないとか、 母様には吹雪様とは違う別の男がいた事とか、 ソレが判ったところで俺は何も出来なかったと思う。 「案内人、。参上つかまつりました。」 村正様が逃亡したとわかった今でも尚、俺は彼を恨めずにいるのだから。 (耐え難いまでの 無力) |