春は好きだ。 土筆が生えて菜の花が咲く。 緩やかな風に身を任せながら 持っていた小刀で腰までの髪を切り落とした。 上には雲一つない海色の空が広がっていた。 青 い 春 父親にも母親にも似ていない茶灰色の髪が嫌いだった。そう自覚したのは母の竜胆が病に倒れて床に伏せた頃。病に倒れてからと言うものあんなに外出するのを好んでいた彼女は部屋に閉じこもるようになり、そのそばでは私が何をするのでもなくじっと共にいた。彼女の部屋から開放されたのは彼女が亡くなった後だ。それまでは部屋を出る事は許されなかった。都合が良かったのだ。うつる病ではないのに。親族はやたら彼女を煙たがったから。男を生まなかった彼女は用済みだったのだ。しかし葬式が終わった今、母を悪く言う者はいない。何故かほっとした。 菜の花が風に揺れる。土筆が天へと伸びている。 蝶が飛ぶ。紺碧の空がそこにあった。 「あんたの髪は吹雪とも私とも似てないわね・・・。」 床に伏せた彼女が悲しそうに笑った。憂いを帯びる目元。私は静かに目を伏せる。彼女は 怒ってるわけじゃないのよ。あんたのせいじゃないんだから。と、言ったがそれでも彼女は私を責めていたと思う。愛してる人と似てない私を悲しみと憂いの残った目で見る。見られるたびに私は息が上手く出来なかった。 「どうして男じゃなかったのかしらね・・・・。」 暖かい風。もう春だ。虫の翅の羽ばたく音。 遠く聞こえる人の笑い声。穏やかな午後の日差し。 どれもが誰もが春を感じている。それは私も同じで、お目にかかる事の無い父上も同じで。風が少し強くなる。日差しは優しかった。 どうして・・・などこっちが訊きたい。なれるものなら私も男として生まれたかった。そうすれば父も母も喜んでくれたのだろう。愛をくれたのかもしれない。ソコまで思って自嘲気味の溜め息が出た。所詮仮定の話。私は女で、これは努力しても変えられる事のない事実。それなら。 護身用の小刀で腰までの髪を切り落とす。風に舞う髪。紺碧の空へと散っていった。男にも女にもなれないけれど、それでも何かを手に入れたくて、彼等の期待に沿いたくて。髪を切った。短くなった髪をそのままに背筋を伸ばす。上を向いた。一面に広がる青。まだ見ぬ海は同じく青いと聞く。 風は穏やかだ。太陽は優しい。 今、俺は“私”にさよならを言う。 涙が零れた。何かを手に入れたいはずなのに、大切なものを失くした気がした。 (私が“俺”になった日) |