やけについてない日だった。 まずトイレットペーパーが切れ、ソレの買出しのじゃんけんに負けた。昨日あんなに晴れていた空は恨みでもあるのかと言うほどに荒々しく雨を降らす。纏わりつくような雨に気持ち悪さを感じながら何とかトイレットペーパーを買って戻れば、家の前――つまりお登勢の店と万事屋へ続く階段の前――で見事足を滑らせて転んだ。背中からだ。後頭部に激痛が走る。転んだ拍子に頭まで打ってしまったに違いない。唯一の幸運は、家の前だからべっとりと泥がついているだろう背中を通り行く人に笑われないことくらいだろう。しかしそれ以上に不運なのは見知らぬ少女に倒れた姿のままの自分の格好を覗き込まれていることだ。 「「・・・・・・。」」 ぱっちりとした大きな瞳が興味深いモノでも見ているかのように銀時を見ている。黒くて澄んだ色だった。その間を鼻筋が通って低い鼻先がつんと尖っている。肌はここいらでは珍しい乳白色で、黒目黒髪にもかかわらず日本の顔ではないことが造作である程度わかった。年は新八より上で沖田より下だろうか。ふっくらした頬が少女から女性へ変わる成長段階である事を物語っている。至近距離で見る瞳がぱちりと瞬いた。しかし薄い唇は一向に閉ざされたままで、銀時も話す言葉が見つからない。居心地悪くて身じろぐと水溜りの泥水を吸った服が背中に張り付いた。気持ち悪い。 「・・・・・・あー、その、なんだ。そろそろどけてくんねぇかな。」 ザアザアと振る雨の中だと喋るのも一苦労で口に溜まった雨水を仕方なく飲み込み、苦い笑みを浮かべる。容赦なく降り注ぐ為目を開けているのもやっとだから今の自分の顔が苦笑にすらなっていないのは銀時本人でもわかっていた。しかし少女は二回瞬きをしてニコリと笑って体を退かせる。どうやら日本語が通じるらしい。水気を含んだ髪を掻き揚げ、転んだ拍子に放り投げた傘を捜す。すぐに見つかったソレに手を伸ばすと、ソレよりも先に白く細い腕が伸び、 「どうぞ。」 と、微笑み付きで差し出された。その柔らかい笑顔は地味目の顔立ちを可愛らしく魅せたが、何処となく年上のような達観した笑みで、銀時は内心首をかしげながらも「はぁ、どうも」と身を起こして傘を受け取る。白い手だ。ほっそりとして顔の肌と同じように乳白色。その肌よりももっと白い色をしたワンピースを着ている。手には絵本。表紙に大きくアルファベットが綴られてなんと読むのかはわからない。ただ“マザー”だけは読めた。子供用の本なのだろう。題名以上に大きく絵が載っている。彼女は銀時の不躾な視線にいやな顔一つせずにふふふ、と笑う。肩を震わせて笑うから長い黒髪が一房さらりとワンピースの上を流れ落ちた。その光景が随分と綺麗でぼんやりと見とれていると「ごめんなさい、ちょっと似ていたものだから」と少女が笑いかける。どうやら覗き込んでいたことを言っているらしい。自分よりも年下のはずなのに一回りも二回りも年上の女性と話している感覚に陥る。そんな落ち着いた声だった。 「あなたの赤褐色の瞳、とても綺麗ね。雨に反射して炎みたい。」 「そんな大層なモンじゃねぇさ。―――似てるってのはアンタのコレかい?」 右手の小指を立たせると彼女はパッと頬を赤らめて「瞳の色だけね」と付け足す。彼女の顔には若干のテレが混じっているようで、そうすると年相応の表情に見えた。そして花開くように微笑む。本当に大切だと思う人なのだろう。でなければそんな風に笑えない。 「その人は幸せモンだな。」 思わず零れ落ちた言葉に少女はきょとんとして、笑う。どこかで鈴の音がした。慎ましい澄んだ音だ。チリン、と一回なってから続いて二回シャンシャンと鳴る。その不思議な音色が彼女を呼んでいるような気がした。それじゃぁ、と少女が口に笑みを作る。ソレに習って銀時もニヤリと笑い、手に持っていた傘を差し出す。 「女の子が体冷やしちゃいかんでしょ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう」 差し出した傘を大切そうに受け取って彼女は柔らかく笑う。彼女が傘を必要としていないのはわかっていた。真っ白なワンピースには泥一つついていない。漆黒の髪は柔らかくさらさらと流れ、肌に張り付くことすらない。つまりそう言う事だ。だけどこの雨に今の格好はあまりにも寒すぎる。本当なら上着も貸したいところだが泥だらけでずぶ濡れの服では逆効果だ。傘を差した少女はくるりと回って嬉しそうに笑う。その瞬間強い風が吹いた。強いってモノじゃない。嵐にも相当するような力強く荒々しい風。思わず目をつぶり風が凪ぐのを待つ。 風はすぐに収まったが、しばらくの間耳鳴りがしていて水溜りに上に座り込んでいると「旦那、こんなところで何やってるんでィ」と聞き慣れた声が真上からする。沖田だ。その顔は真っ青な空を背にしているため若干暗く、どんな表情をしているのか見えにくい。お前こそ何やってんのと問いかけると見回りだと返される。 「朝から雨で気が滅入ってたがが来てたでしょう?あの子が来てるってこたァすぐ春だと思いましてね。重い腰上げて外出りゃ、この初空。今日は昼寝日和でさァ。」 「おい、さっき見回りつったじゃねーか。ってか、マジ晴れてるし!」 「何言ってるんで?春疾風が吹たってことはもう立派な春ですぜ。」 不思議そうな沖田の表情。何、当たり前の事言ってるんだとでも言いたげな顔が不意に銀時の上から下までざっと見てニヤリと笑った。怪訝な顔で沖田を見返した銀時は自分の服が乾いていることに気がつく。そして座り込んでいた水溜りには水の代わりにたくさんの花びら。 「旦那の所には人より先に春がきてるじゃァないですかィ。特に背中の花びらは見事なもんだァ。」 |