その色を見たのは今よりずっと小さかった時。思えば本当に楽しかったのはそのころだった。






5.










暑さを更に増す午後。
一つのドアが音も立てずにゆっくりと開く。ドアから出てきたのは銀色の髪の少女だ。大きな紫色の瞳をきょろりきょろりと左右に動かせて廊下に人がいないのを確認するとほっと安堵するように息を吐いた。
リドルに「興味がある」発言をされてからは毎日のようにリドルに会う。同じところに住んでいるのだから当たり前なのかもしれないが、部屋を出て階段を下りた先に爽やかな笑みを浮かべた彼がいる状況に毎回出くわせば少し疑ってしまうのは仕方だないことではないだろうか。
別に彼の事が嫌いなわけではない。魔法界のことには興味はあったし、リドルの教え方は上手かった。優しく、決断力があって無理強いはしないその物腰は好感を持てる。純粋に憧れた。こんな風になれたらいいなと密かに思ってもいる。
ただ、あまりに偶然が頻繁に起きると見張られているのではないかと心配になる。最後には水晶で相手の行動がわかる魔法があるかダンブルドアに訊ねるほどにまで発展した。彼はその長い髭撫でながら そんな魔法は生憎まだ出来ておらん。しかし、まぁの行動は読み易いからのぉ、と笑っていたがには笑い事じゃない。些か不満の残るだったがずっとソレを引きずるわけにもいかないのだ。


行きなれた階段を下りる。いつもは気まぐれに架ける階段たちが今日は大人しい。最後の段を松葉杖で支えながら飛び降りるといつもの気まぐれを思い出したのか階段は二階へと動いていく。の目の前には大きな正門の扉と開け放されたその先の穏やかな緑が広がっていた。


さくさくと草を踏みしめは歩く。が小さい時暮らしていた家の周りも同じように葉の短い草や花が一面に生えたところだった。心が落ち着く。同時にわくわくする。中で本を読むのも好きだが、青い空の下で名も知らない草花が風に揺れる様を見る方がずっと好きだった。久しぶりの草の感触に進む足もいつになく調子が良い。と、小さな小屋とその後ろに大きな森が見えてきた。




(禁じられた森。)


前にリドルに教えてもらったことがある。危険な動物がいるかららしく罰せられてはいることはあっても普段は入ってはいけないし、入ろうと思う人も少ないと言っていた。しかし今の興味を惹くのは森ではなく小屋だ。小屋の事は一切訊いた事がない。リドルは顔を歪めて が気にかけるほどのものじゃないよ、と言ったっきりその小屋に触れることはなかったのだ。


その小屋は木で造られた簡素な建前をしている。戸口には石弓と季節外れの防寒用の長靴が置いてあり、小屋の隣には簡単な畑があった。人が住んでいるのだろうと言う予想は付いたが如何せん大きい。近くによって見た長靴はの太股くらいの長さで幅は両足が入るほどだ。石弓も通常より数倍大きい。ぽかんと開けた口は緩まったままは小屋全体を下から上まで見て、また入り口に戻す。人が出てくる気配はない。今度は小屋の周りをを一周してみた。やはり魔法界だからかの見たことの無いものばかりだ。たまに図書館の本に書いてあるものに似たものもあったが間近で見るのは初めてだった。本当に自分は魔法界にいるのだ。嘘でも冗談でもなく。動く階段やゴーストに何回も会っているのにこんな事を考えるのはおかしいのかもしれないが、それでも何だか不思議な気持ちになる。
湿気の多いぬかるんだ土に何度も足をとられそうになりながら進むと見覚えのある植物が三本、申し訳程度に植えてあるのを見つけた。


いつかこの丘一杯に植えような


そう言って星のような瞳を持った少年は黒耀の髪を風に躍らせながらに笑顔を向ける。褐色の肌は太陽の光に輝きを更に増した。持っていた種をのその白い手に半分渡して。少年が笑う。も笑った。蘇る記憶。フラッシュバック。




「誰だ、そこにいるのは。」


少しばかり焦りを混じらせた声には我に返り、声のしたほうを振り向いた。大きな男だ。の二倍以上の体をしていて髪はボウボウ、髭はモジャモジャ。お世辞にも清潔とは言えない。しかしはその男を怖いとは思わなかった。コガネムシのようにキラキラする瞳を見たからかもしれない。男はを見て困ったように毛むくじゃらな髭をもごもごと動かし頭を掻く。


「すまんかった。おまえさんだとは思わなかったんだ。」


気にしてないとが首を振ると男はほっとしたように輝く瞳を細めて笑った。さっき思い出した情景が浮かぶ。姿形は違うのに煌く男のその瞳はどこか実兄であるあの少年に似ていたのだ。


その男はハグリットと名乗った。の事はダンブルドアから聞いたらしい。魔法界のことを出来る限り教えて欲しいと言われたとも言っていた。ハグリットは気さくな人で切り株の椅子を二つ持ってくると一つをに、もう一つは自分が座っていろんなことを話してくれた。魔法界の生物の事やダンブルドアの事、リドルから聞いた事のない話(リドルが聞けばくだらないと言い捨てそうな話だ)もにとっては面白かった。


“これも魔法薬の材料に使うの?”


目の前にある三本の花を指差して訊くとハグリットは困ったように笑って 違うと言う。


「コイツは俺の趣味でね。名前も知らんがマグルは夏に植えるらしい。綺麗だと思うんだがどうも他の生徒や先生方からは不人気だ。薬にもならんからな。それに観賞用ならコイツよりも綺麗な花はいくらでもあるって言う。俺はコイツらの方が綺麗だと思うんだがなぁ。今年で最後になるだろうよ。」


寂しそうな声だ。ハグリットは本当にこの花が好きなんだと思う。


“私は好きだよ、この花”
「おまえさんは優しいな。だが気は遣わんで良い。俺の考えはみんなとはちーっとばかし違うらしい。」


苦笑する大男をはじっと見る。自分より数倍の大きいこの男が酷く小さく見えた。兄の言葉を思い出す。


“その花ね、向日葵って言うの。太陽の花って意味”
「知っとるのか?」
“知ってる。昔お兄ちゃんがよく好きだって言ってた。丘一面に植えようって約束した”







この花はな、太陽に向って咲くんだぜ。いつだって太陽を追い求めるんだ。だからこんなに綺麗な色をしてるんだ。綺麗な花はいくらだってあるけど俺はこの花が好きだよ。なぁ この花をさ、丘一杯に植えようぜ。きっと綺麗だ。母さんも父さんも喜ぶよ。いつまでも平和でありますようにってさ。なぁ いいだろ?




笑って言ったその言葉。今でも覚えてる。もうその顔は見れないけどこの先もずっと覚えているだろう。


“約束は結局ダメになっちゃったんだけどね。でもまた見れて良かった。ありがとう、ハグリット”


ハグリットは今にも泣き出しそうな顔のまま そうか、そうかとの頭を撫でる。お礼を言われるのは久しぶりだった。労いの言葉をかけてくれるのはダンブルドアくらいだったし、いつも自分は迷惑な事ばかり仕出かすから。涙で潤んだ瞳でを見ると彼女が微かに笑った気がした。気のせいかもしれない。ダンブルドアの話では笑うことも口を利くことも出来ないと聞いていた。事情は知らない。きっとダンブルドアだけが知っているのだろう。


「秋になったら種が出来る。そしたら、おまえさんさえよければ一緒に種を蒔かんか?嫌ならいいんだ。丘一面には無理だが畑一杯に埋めようと思っちょる。」


今度こそ確かにが笑った。照れるように。嬉しそうに。雪解けの春を思わせる笑みだ。


“楽しみに待ってる。きっと綺麗だよ”


黄金色に輝く花びらを持った向日葵。沢山のソレを見てこの少女が声を上げて笑う日が来ればいい。自分を喜ばせてくれたこの子を今度は自分が喜ばせたい。

N E X T