世界はいつだって理不尽だ。









4.







“そう言うのは慣れてる”


たった一言。表情一つ動かさずに彼女は持っていたペンでメモ帳に書く。その言葉にピーブスはギョッとした。紫色の瞳はじっとピーブスを見ている。
最初はからかってやろうと思っただけだった。通りかかった廊下に偶然がいて、いつも隣にいるトム・リドルがいなかったから。だから、そこら辺においてあった花瓶を彼女の頭の上からひっくり返した。
どんな顔をするだろう。真っ赤になって怒るだろうか。それとも涙を流して泣き出す?どちらでもいい。無表情に近い顔以外の表情をするが見たかった。ここに来て、随分経つけれどピーブスはの困ったような顔しか見たことがなかった。いつだって一緒にいるリドルは違うのかもしれないが、少なくとも大広間や廊下で表情と言える顔を見せた事はない。
うきうきとの次の反応を待っていると彼女は水溜りになっている足元とぐっしょりと濡れた服を交互に見つめた後、何事もなかったようにピーブスの横を通り過ぎようとした。それに慌てた彼は なんで何も言わない?悔しくないのか!と彼女の行く道に先回りして詰め寄る。は何も言わない。なんの表情も見せない。ソレが悔しかったし、不思議でもあった。は少し黙考してダンブルドアから貰った携帯用のメモ帳とペンで件の言葉を書き、ピーブスに見せる。ピーブスは随分と驚いたようだ。


「慣れるとか、慣れないとか。そんな問題じゃないだろ?」


しばらく経ってピーブスが言った言葉は彼がポルターガイストになってから今までの間で一番まともな発言だっただろう。は首を傾げる。


“そうかな”
「そうさ。」


わけもわからず必死に頷くピーブスに内心驚きつつも考える。そうだろうか。本当にそんな問題じゃないのだろうか。髪と目の色の事で随分と疎まれてきた。母親は大好きだと微笑んでくれたが周りの大人はそうはいかなかったから。穢れてる、卑しい色だとヒソヒソ話すのを目にする。そして最後は必ず母親の事を罵るのだ。子供達は遊び半分に大人達が陰で話す言葉をそのまま自分にぶつけてきた。時には今のピーブスのように水をかけることもあった。悔しくないわけじゃない。勿論悔しい。しかしだからと言って手を出せば相手の親が出てきて母親を責めるだろう。頭を下げる母の姿は子供ながらに見たくなかった。事がうまくいくにはひたすら耐える必要がある。一番早いのはずっと家にいる事だ。しかし家にいるのだって限度がある。外には出て行かなければいけない時だってある。だからずっと耐えてきた。ほかの事だってそうだ。むきになるから相手は面白がるんだ。従順で大人しくしていれば相手は飽きて自分を突付くような真似はしないだろう。耐えろ。耐えろ。耐えろ。これは習慣なのだ。大丈夫、自分は慣れてる。どうってことない。だって、これは


“怒ったって何も変わったりしないじゃない。結局は弱い者が損するだけだよ”


いつだって理不尽なのだ。この世界は。弱ければ損するし強ければ得をする。それはピーブスだって知っている。平穏で利口に生きる方法は数少ない。でもピーブスはあえてソレに逆らった。沢山の人を困らせて迷惑をかけて毎日を過ごしている。嫌われたって良い。憎まれてもへっちゃらだ。彼にとって大切なのは構ってもらえる事だったから。


「それは怒らないと全然何も変わらないって事だろ?」
“そうだけど・・・”
「だったら怒れば良いし泣けば良いじゃんか。そしたら何か変わることだってあるさ。」
“損するかもしれないよ”
「言わないで損するより言って損した方がいいぞ。そのほうがすっきりする。」


本気でそう思うからそう言うとが初めて困った顔以外の表情をした。驚きというよりはびっくりしていると言う言葉が似合う。しかし、びっくりしていると表すには些か違うのだ。まるで霧が晴れたかのように瞳の色に輝きがあって、一瞬での世界が変わったような表情だった。


“そうかな”
さっきと同じ言葉。でも問うその目はガラス玉から生身の、強い色をしている。


「そうさ。」
ピーブスも同じように答える。バカみたいに慎重に、丁寧に。


自分が死んだのはいつだったかピーブス自身忘れてしまったが、その時一人だったのは覚えている。怖かった。たった一人、ずっと独り。自分を看取る人もいなければ死んだ自分を発見してくれる人もいない。怖かった。怖いからポルターガイストとなってみんなが自分を見てくれたことが嬉しかった。構って欲しくて悪さもした。例え、その感情が決して良いものでないとしても無関心よりは良い。
どっかで『愛』の反対は『憎む』じゃないと聞いたことがある。『何も感じない』ことが反対らしい。がどんな生活をしていたのかピーブスにはわからない。でも傷付くのにひどく怯えているように見える。そして大切なものを失うのが嫌で関心を持とうとしないようにも見えた。もしこの少女が生きてきた人生が『何も感じない』で生きていかなきゃいけない日々だったとしても、


(少なくともここにいる人たちはお前を傷つけたりしねーよ。バカ。)


心中で悪態を吐くとが滴った髪を掻き揚げるのが見えた。その瞬間のの顔をピーブスは自分が煙となって消える日まで忘れないだろう。


緩んだ口元。気を抜いた目元。
まだ笑みというのは程遠いけど。ホグワーツに来て初めて、しかし確かには柔らかな表情をした。

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